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托卵 第2話

(10)モチ
 数日後、春江が我が家を訪れた。
「こんにちはモチ」
 彼女も語尾にモチが付いていた。目が覚めたら、こうなっていたとのことだ。
 誠二は「失神して目が覚めた後、語尾にモチが付く」と言っていた。春江と秋奈はその通りになった。しかしだからと言って、誠二の言うことが真実だったとは断定できない。
 私は家族と春江をリビングに集めた。そして、皆に次のような問いを投げかけた。
「ドッキリだろ?」
「ドッキリじゃないですモチ」
 春江が即答した。
「誠二君にこの症状のことを聞きましたモチ」
「誠二に?」
 私は驚いた。誠二が私の知らないところで私の知っている者に接触しているとは思いも寄らなかった。しかも、誠二は私の家族にも接触していたようだ。
「私も聞いたモチ」
 秋奈だ。私はさらに驚いた。
「秋奈も会ったのか?」
「LINEで教えてくれたモチ」
「ブロックしろ!」
 私は強い口調で彼女に命じた。誠二が私の大切な者達にくだらない世迷言を吹き込んでいる。はらわたが煮えたぎってくる。その上、春江も秋奈もその世迷言を真実だと見做しているようだ。
「お父さんが私達の誰か1人を殺さないと、みんな死ぬモチ」
 と断言する秋奈の表情は真剣そのものだ。「そんなのは嘘だ!」とわたしは即座に否定した。
 すると、今まで黙っていた夏美が「いい加減にして!」と耳をつんざくような金切り声を上げた。
「一体何なの、あの誠二って子は⁉︎ホントにアナタの教え子なの⁉︎」
 噛み殺すような勢いで私を問い詰める。私は「そうだ」と答えようとしたが、私より先に春江が答えた。
「先生が轢き殺した女性の息子さんですモチ」
 私は驚愕で丸くなった目を彼女に向けた。「アニメ文学論」の愚かな女子学生ならともかく、聡明な春江が家族を狼狽させるようなことを平然と口に出すとはにわかに信じがたかった。
 家族は皆「ええっ⁉」と驚きの声を上げた。
「え?何?どういうこと?殺した女の子供をウチに連れて来たって訳?何考えてんの?」
 冬子は蔑むような語調で私に詰問した。「いつか本当のことを言おうと思っていたんだ」と私は弁解したが、家族は全然納得していない表情だ。頭のおかしい異常者を見るかのような彼女達の視線がとても痛い。
「てか、春江さんはお父さんの何なんですかモチ?お父さんの『大事な人』しか症状は出ないはずモチ」
 秋奈は訝しげに春江を睨んだ。秋奈の疑問はもっともだ。私はドギマギした。私と春江の本当の関係は当然家族には知られていない。知られてはならない。
 けれど、春江はまた正直に告白してしまった。
「先生と不倫してるモチ」
「オイ!」
 私は春江を怒鳴りつけたが、もう後の祭りだ。家族はまたも「ええっ⁉」と驚きの声を上げた。
 轢き殺した女の息子を家に連れ込んだことは百歩譲って許しても、不倫はそうもいかない。家族に対する裏切りだ。冬子はもちろん、秋奈も失望の眼差しを私に浴びせている。夏美に至っては抑えきれない怒りで身体がワナワナと震えている。
「アンタ!また!」
 彼女はヒステリックな声を上げて私に掴みかかろうとした。しかし、急に糸が切れたように倒れてしまった。

(11)恥
 誠二に電話すると、彼はすぐに出た。そして、「奥さんも症状が出ましたね」と笑いを堪えるような口調で言った。
 私は彼の挑発的な態度にムカムカしたが、努めて冷静さを保ち、「彼女達に何をした?」と凄みを利かせて尋ねた。けれど、彼は私の求める答えを口に出そうとはしなかった。
「僕は何もしていません。この前言った通りです」
「わかった、みんなでオレを騙して楽しんでるんだろ?」
「だから、違いますって。この前言った通りです」
「お前のことを学校に訴える。警察でもいいぞ?」
「訴えてどうするんです?ボクが何かしたんですか?」
 悔しいが反論できない。これ以上話しても無駄だ。私は電話を切った。
 夏美は倒れたその日に意識を取り戻した。そして、語尾にモチが付いていた。「なんでモチがついちゃうモチ⁉︎」と彼女は激昂したが、それはこちらが聞きたい。
 私は夏美を宥めると、皆をリビングに集めた。
「状況を整理しましょうモチ」
 夏美が場を取り仕切った。さすがは社長だ。困難な課題に対して冷静沈着に解決しようとしている。たまにヒステリックにはなるが、こういうトラブルにおいては非常に頼もしい。
 しかし、彼女が「アナタは私達のうち誰か1人を殺さなければいけないモチ。さもないと、全員死ぬモチ」と真面目な顔で言った時、私は呆れ返ってしまった。
「アホか。奴がそう言ってるだけだ」
「じゃあ、なんで私はモチモチ言ってるモチ⁉︎」
 夏美はまた激昂した。やはりこの女はヒステリーの塊だ。冷静から程遠い。何故社長を務められるのか不思議だ。
「バカバカしい!いい加減ドッキリはやめろ!」
 私も激昂した。もう我慢できなかった。これ以上誠二にも彼女達にも振り回されたくなかった。
「オレをコケにしてそんなに楽しいか⁉︎一体何が不満だって言うんだ⁉︎オレはいつだって良い夫であり父であり続けた!」
「不倫したじゃん」
 冬子がすかさずツッコミを入れた。私は言葉が詰まった。見事に図星を突かれた。しかも、彼女の次の言葉は図星を突くどころか貫通してしまった。
「少なくとも2回。誠二のお母さんと不倫してたんでしょ?」
 場がかつてない緊張に包まれた。春江も夏美も秋奈も呆然とした顔を私に向けた。冬子の発言があまりに衝撃的すぎて頭の理解が追いついていないのだろう。しかし、それは私も同じだ。顔から血の気が引いていくのが鏡を見なくてもわかる。
 この場で平然としているのは冬子だけだ。彼女は私を追い詰めるかのように言葉を続けた。
「マッチングアプリで知り合って付き合ったのはいいけど、相手に旦那と子供がいることに気付いて、面倒を避けるために一方的に切り捨てた。ショックを受けた誠二のお母さんはお父さんの車に突っ込んで自殺した。そうでしょ?」
 と確認してきたが、私は答えられなかった。「違う」と即答すればいいものを、沈黙することによって「そうだ」と暗に肯定してしまった。
「なんで知ってるかって?誠二が教えてくれたんだよ」
 冬子にも誠二は余計なことを吹き込んでいたようだ。彼は自分の母と私の関係を知っていた。つまり、彼が私に対して強い憎悪を抱くのは至って当然のことだ。復讐のために私に近付き、私を精神的に追い詰めようとしているのだ。
 しかし、私には何の落ち度もない。あの女が夫と子供の存在を隠して私と関係を持ったのが悪い。逆恨みもいいところだ。親子ともども私に多大な迷惑を掛けてくる。私は強い憤りを感じた。
 だが、私以上に憤りを感じているのは夏美だろう。夫が春江どころか別の女とも不倫しているとは、プライドを甚く傷つけられたに違いない。しかも、不倫相手の息子にいいように振り回されている。私に殺意を抱いても不思議ではない。
 しかし、夏美は怒らなかった。「それ本当モチ?」と私に尋ねる声はやけに落ち着いている。その冷静さが逆に怖い。春江と秋奈も冷淡な眼差しを私に向けている。蔑みも憐れみも感じられない。まるで赤の他人を見るかのような無感情の目だ。
 彼女達とは正反対に、冬子はありったけの怒りと侮蔑を込めた視線で私を激しく突き刺した。
「全部アンタが蒔いた種だ!この中で一番死ぬべきはアンタだよ!」
「やめなさいモチ!」
 秋奈が冬子の頬を引っ叩いた。姉の唐突なビンタを受け、冬子は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
 私も冬子と似たような顔になった。親に「死ね」と言い放つ妹を叱るのは当然の行為だろうが、表情がさっきまでの冷徹なものから怒りを露わにしたものへ急転換したことに戸惑いを覚えざるを得なかった。
「お父さんは悪くないモチ!悪いのはお父さんを誑かした女モチ!」
 などと秋奈は春江を指差して糾弾した。春江は、秋奈とは対照的に微塵も感情を顔に出さず、「違うモチ」とサラリと否定しつつ、冷ややかな視線を夏美に向けた。
「旦那に不倫される女に問題があるモチ」
「お前、殺すぞモチ!」
 夏美は激昂して春江に掴みかかろうとした。私は「やめろ!」と夏美を制止した。そして、女達を睨み回しつつ、
「確かにオレは奴の母親と不倫した。彼女はオレの運転する車に突っ込んで死んだ。だが、今の状況とは何ら関係ない」
 と強く言い聞かせた。いや、私自身に対して言い聞かせた。自分でも論理的でないことを喚いているのは自覚している。しかし、この異様な状況の全てに対して私に責任があるとは認めたくなかった。
 私の支離滅裂な主張に当然女達は絶句した。まったく理解不能だと言わんばかりに唖然としている。冬子に至っては、「はあ?何を言ってるの?」と明らかにバカにした口調で父の正気を疑っている。だが、たとえ彼女達に軽蔑されようとも、私に瑕疵がないことは貫き通したい。頭のおかしい少年が、私に対する恨みではなく、自身の快楽のためだけに我々を陥れているのだと言うことにしておきたい。
「今はオレのことなんてどうでもいい。この意味不明な状況をどうにかすることが先決だ。お前らがどうしてもドッキリじゃないと言うなら、考えられるのは催眠術だ。誠二がお前らに何らかの手段で暗示を掛けているんだ」
 私は彼女達の批判の眼差しを自分から遠ざけ、誠二に集中させようとした。しかし、夏美が「じゃあ、なんで彼はそんなことするのモチ⁉アンタへの復讐でしょモチ!」と喚き立て、尚も私を詰ってきた。妻の癖に夫の思惑を理解できないとは本当に頭の悪い女だ。「だからオレは関係ないと言ってるだろ!」と私も声を荒げた。
 すると、突然秋奈が「ああもうやめてモチ!」と絶叫して、髪を掻き毟り始めた。余程強い力で毟ったのか、髪の毛がゴッソリ抜けて地肌が見えた。いや、毟ったからではなく、自然に髪の毛が抜けているようだ。手の触れていない部分の髪も枯れ葉のように音もなく床へ落ちていく。
 遂には秋奈の頭は草一本生えぬ荒野と化した。彼女は搔き毟る髪がもうないことに気付いたようだ。両手で頭皮をペタペタ触りつつ、床に落ちた夥しい髪の毛を見る。
 そして、秋奈は決壊したダムのように絶叫した。年頃の少女が丸坊主になったのだから、絶叫するのは仕方がない。しかし、鏡を見たら、彼女は絶叫どころかショック死するかもしれない。
 彼女の額にいつの間にか文字が浮かんでいた。「恥」と言う文字だ。書道のような黒々とした太い文字で豪快に書かれている。
「これも催眠術⁉︎暗示⁉︎」
 冬子が姉を指差しつつ、ヒステリックに私に詰問する。無論肯定はできない。丸坊主も「恥」も明らかに催眠術では説明できない。
「幻覚だ!集団幻覚だ!」
 私は狼狽しつつも科学的に説明できそうな別案を提示してみた。しかし、それも今目の前にある異常極まる事態を説明するにはあまりにも説得力に欠けていた。

(12)地下室
 何日経過しても、状況は改善するどころか悪化するばかりだ。誠二に何度電話しても、「お架けになった電話番号は現在使われておりません」と言う機械音声が聞こえるだけだ。着信拒否したのだろう。
 あんなに会いたくなかった誠二だが、今はとても会いたい。会ってこの状況に係る全責任を取らせたい。
 私の精神は日を追って疲弊していく。大学へ行くと、同僚や学生達に「休んだ方がいい」と言われてしまう。私の顔は誰の目から見ても病的にやつれていた。このままでは春江達より先に私が死んでしまいそうだ。一刻も早くこの尋常ならざる事態を消滅させなければならない。
 私の精神状態は最早正常ではない。ゆえに、普段の私なら絶対しない行動を取ってしまうのも致し方ないことだ。
 その日は夜空に雲がなく月と星がハッキリと見えた。しかし、地下室には朝も夜も天気も関係ない。私は久しぶりに我が家の地下室にいた。普段は物置として使われているが、今は別の用途でも利用されている。
 すなわち、監禁だ。私は誠二を地下室に監禁した。
 私は誠二の行方を捜すため、ベンツを駆って彼がいそうなところを回った。「もしかしたら既に逃亡したのではないか」と危惧していたが、そんなことはなかった。
 彼は高校から帰るところだった。私がこんなにも苦しんでいるのに、何事もないかのように平然と日常生活を送っていたのだ。楽しそうにガールフレンドらしき同級生と会話している。
 あのニヤけた顔を見て私は激しい怒りを覚えた。今すぐにでもこのベンツで母親同様に轢き殺してやりたかったが、グッと堪えて彼の後ろをゆっくり尾行した。
 チャンスはすぐ訪れた。誠二はガールフレンドと別れると、人気のない道路を一人で歩いた。私はベンツを彼の側に寄せるや否や、ドアを開けて彼の頭を殴打した。武器はトンカチだ。すぐに気絶させる方法はこれしか思いつかなかった。
 当たり所が良いと言うか悪いと言うか、彼は思惑通りに一撃で意識を失って倒れた。幸い死んではいないようだ。死なせてやりたいが、今は死んでは困る。
 私は彼をベンツの中に押し込み、その場を走り去った。そして、自宅に戻ると、彼を地下室まで運び、椅子に座らせ、手足を雁字搦めに拘束した。
 いまだ眠る誠二を私、春江、夏美、秋奈、冬子が囲んでいる。秋奈の他に春江、夏美も頭が禿げ上がり、額に「恥」の字が浮かんでいた。冬子は丸坊主になるどころか、まだ語尾にモチがついてすらいない。誠二は「症状には個人差がある」と言っていたが、もしくはただ単に私が冬子を「大事な人」と見做していないだけかもしれない。
 それはともかく、誠二にはいつまでも眠ってもらう訳にはいかない。私は彼の頬を強く引っ叩いた。誠二は目を覚まし、ファアと大きな欠伸を出した。別段驚いている訳でも動揺している訳でもなさそうだ。いつもと変わらぬニヤけた顔で私達を見回しつつ、「皆さん、おはようございます」と爽やかな声で挨拶した。
「ここは先生の家の地下室ですね。ここなら僕がいくら叫んでも誰も気付かない。でも、僕を拉致する時、誰かに見られませんでしたか?僕はそれが心配です」
 まるで他人事のように話す。こうなることをあらかじめ知っていたのか、気持ち悪い程に落ち着いている。私は「監禁すれば笑うどころではないだろう」と想定していたので、彼のこの態度に困惑した。監禁された者より監禁した者の方が動揺するとはお笑い草だ。
 しかし、私は努めて動揺を顔に出さず、あくまで冷静さを装い、「お前がどんなトリックを使ったのかはどうでもいい。元に戻せ、今すぐに」と強い口調で誠二に命令した。だが、誠二は首を横に振った。
「無理です。これは僕の意志ではないからです」
「できないならお前を警察に突き出す」
「だから、僕が何をしたんですか?『頭がおかしいガキの摩訶不思議なトリックで妻と娘と愛人がハゲになって額に恥の字が出て、おまけに語尾にモチがつきました』とでも言うつもりですか?それに、不利になるのは先生の方ですよ?第三者から見れば、先生は何の罪もない少年を拉致監禁した犯罪者ですからね」
 まさしく彼の言う通りだ。「警察」と言う単語を出せば怖気づくと思ったが、逆に私が怖気づけさせられてしまった。まだ高校生と言えども、口は政治家のように達者だ。
 大学教授が高校生にアッサリと論破される。その事実に私は屈辱と苛立ちを覚えた。その一方で、「この怜悧な少年を自分の言う通りにさせられるのか?」と不安になってきた。
「ひとまずこの文字を何とかしてモチ」
 夏美が自分の額を指差して誠二に頼んだ。すると、彼は呆れたように肩を竦めた。
「だから、無理です。何度も同じことを言わせないでください。似た者夫婦だなあ」
 その直後、彼の顔がグルンと横を向いた。私が彼の頬を殴ったからだ。反射的に手を出してしまった。だが、「しまった」とは思わない。むしろスカッとした。冬子が「ちょっとやめてよ!」と私を咎めたが、私はやめなかった。もう一発を誠二の顔に喰らわせた。
 誠二の鼻の穴から一筋の赤い血が流れた。けれど、誠二はニヤニヤするのをやめなかった。私が「元に戻さない限り、お前はずっとこのままだ」と脅しても、一向に表情を変えない。私の殴打がまるで蚊に刺された程度であるかのように、余裕綽々な態度を維持している。
「戻すことができるのはアナタだけですよ、先生。大事な人を1人殺せば残りの全員は助かります」
 殴られる前とまったく変わらぬ落ち着いた声で、彼は私に説明する。
「先生の兄弟を殺しても無意味ですよ。だって仲が悪いでしょ?他の親族や友人もダメ。死んで悲しむ程度の人間じゃない」
 確かに彼の言う通りだ。今この場にいる4人の女以外の人間については、死んでも然程にショックを受けない。しかし、身内や友人のことなど全く話したことがないのに、何故彼は私の人間関係を把握しているのか?
 しかも、次のような私も知らない事柄についても言及してきた。
「ああ、もちろん隠し子もNGです」
「隠し子モチ⁉」
 夏美達が驚愕した。私も驚愕した。何故なら、身に覚えがないからだ。つまり、誠二のの嘘だ。私は「デタラメを言うな!」と怒鳴りつけた。しかし、彼は「いや、デタラメではないと思いますよ」と嘘であることを認めなかった。
「昔は行きずりの女と夜な夜なセックスしていたんでしょ?その中の1人が先生の子を産んでいるかも」
 私は誠二の顔を殴った。だが、今の殴打は怒りからではない。家族さえ知らない私の過去を知っている彼の情報収集力に対する恐怖からだ。
 確かに昔の私は今より遥かに羽目を外していた。夜な夜な繁華街を渡り歩いては、気に入った女とセックスしていた。合意の時もあれば、無理矢理犯した時もある。避妊もせずに膣内に射精した者も少なくない。だから、誠二の推測通り、私の隠し子がいる可能性は否定できないのだ。
 今までセックスした女の中で、顔を覚えている者はほとんどいない。数が多すぎるからではなく、覚える気がないからだ。女は穴と乳房さえあれば、顔はどうでも良い。異性の肉体を欲しいがままにする快楽さえあれば、人格や個性など取るに足りないことだ。女は男に犯されるために存在している。これは私だけでなく、古今東西全ての男に共通する真理だ。
 しかし、女はその愚かさ故に真理を理解しようとしない。夏美達の視線が痛い。冬子は露骨に嫌悪感を顔に出しているが、他の女達も内心私を軽蔑しているに違いない。男の性欲処理しか存在価値のない女に軽蔑されることは耐え難い。軽蔑されるのは全て目の前の生意気な小僧のせいだ。
「いいですか?先生が何もしなければ、このまま全員顔が破裂します。先生が死んでも、その瞬間全員顔が破裂します。先生以外の誰かが殺しても無意味です。全ては先生の行動次第です」
 誠二はものわかりの悪い老人に対するようなゆっくりとした口調で説明した。何度も殴ったのに、まだニヤニヤして余裕の態度を私に見せつけている。明らかに私を下に見ている。
 私はポケットからあるものを取り出した。バタフライナイフだ。誠二が私にプレゼントしたものだ。
「それはヤバいって!」
 冬子が私の腕を掴んで制止した。私はそれを振り払った。冬子はドスンと尻餅をついた。別に彼女を吹き飛ばす意図はなかった。私を怒らせた誠二のせいだ。何もかも誠二のせいだ。
「お前の言う通りだ。確かに使う機会があったな」
 私はナイフを誠二の喉に近づけた。ちょっと手首を捻れば、ナイフはいとも容易く彼の喉を引き裂くだろう。つまり、私に生殺与奪を握られている。それはとても恐ろしいことであるはずだが、彼は全くと言っていい程表情を変えなかった。状況を理解できていないのか?強がっているだけなのか?それとも「できる訳がない」と高を括っているのか?
「本気じゃないと思ってるのか?」
 私は凄みを利かせ、ナイフをさらに喉へ近づけた。だが、誠二は何も変わらない。それどころか、次のような一言を吐き出した。
「バーカ」
 その直後、秋奈が悲鳴を上げた。私が誠二を殺すと思ったのだろう。だが、私の理性がかろうじて怒りを抑え込んだ。私はナイフを床に落とし、誠二の顔を思いっきりブン殴った。椅子が倒れ、彼の身体は床へ強く打ちつけられた。
 それでも誠二はニヤニヤ笑っていた。面白そうに私をジロジロ見つめていた。

(13)媚び
 私と夏美はいつも別々の寝室で眠る。私の寝室にはフカフカの高級ベッドがあり、安物とはレベルの違う寝心地の良さだ。しかし、今夜は全く寝心地が悪かった。
 誠二を監禁した日の夜、私はずっと眠れずにいた。地下室にいる誠二のことが気になり、全然リラックスができないでいる。拘束されているから逃げ出せるはずはないが、もし目が覚めた時に私の枕元にいたらどうしよう?それを想像すると、眠ることが恐ろしくなる。
 問題を解決するために奴を監禁したのに、余計に問題が悪化した。ストレスはなくなるどころか、さらに重さを増した。頭が禿げ上がってしまいそうだ。
 この苦痛から逃れるためにはどうすればいいか?
 脳裏に4人の顔を思い浮かべる。春江、夏美、秋奈、冬子。彼女達の内の誰か1人を殺せば、本当に私はこの悪夢から解放されるのか?
 いや、それは単なる誠二の妄言だ。夏美達の身体に起こった異変も何らかのトリックを用いたからであり、決して呪いや魔術の類ではない。母親の仇を討つため、とことん私を精神的に追いつめているのだ。
 誠二の言う通りに実行することは彼に対する屈従を意味する。それは死んだ方がマシだと断言できる程に恥ずべきことだ。大学教授が高校生ごときに敗北する訳にはいかない。
 そう決意していると、夏美が部屋に入ってきた。彼女はネグリジェを着けていたが、その下は裸だった。彼女の裸は久しく見ていなかったが、歳の割には崩れておらず、私の性欲を刺激するに足る十分な価値があった。
 私は夏美と性交渉をしたい欲求に駆られた。頭が禿げ上がり、額に「恥」が書かれているとは言え、女体だ。溜まりに溜まったストレスを解消するのに最も効果的な手段はセックスだ。
 どうやら夏美も同じことを考えているようだ。私が「どうした?」と尋ねると、「久しぶりにしないモチ?ストレス溜まってるでしょモチ?」とネグリジェを脱ぎ捨てた。私は夏美をベッドの中に招き、夫婦の営みを実行した。お互い年甲斐もなく激しいセックスだった。
 夏美とのセックスはとても満足のいくものだった。しかし、さすがに若々しく豊満な肉体を持つ春江と比べると、どうしても劣ってしまう。女は歳を取れば取るほど価値が下がる。その点で見れば、春江よりも若い秋奈の方が美味であるかもしれない。いや、さすがの私も実の娘に手を出すことなどしないが。
 行為が終わった後、我々は裸のままベッドの上に寝そべった。夏美は私の腕の中で「殺すなら、あの春江って子にしてモチ」と進言した。
「簡単でしょモチ?今までの女も簡単に捨ててきたんだからモチ」
 夏美が夫の不倫相手の死を望むのは至極当然のことだ。しかし、春江を死に至らしめるのは夏美自身ではなく、あくまで私の手によってである。しかも、私なら簡単に春江を殺せると思っていることが気に喰わない。
「オレを血も涙もない色情魔だと思ってるのか?」
 と私が不快感を露わにして聞くと、夏美は「実際そうでしょモチ」とにべもなく肯定した。
「でも、私はアナタがどんなに不倫しようが許してきたモチ。こんな寛容な女、他にはいないモチ。普通なら、スキャンダルで今の地位を追われているところを私がずっと守ってきたモチ。アナタは私がいないと生きていけないのモチ。それを理解しなさいモチ」
 その上、私に対して上から目線で感謝を要求してくる。実際彼女のお陰で私が没落しなかったのだとしても、妻の分際で夫を軽んじるような態度は断じて許容できない。
「お前だって不倫してるだろ」
 私は夏美の優位性を崩すために彼女の不義を咎めたが、「してないモチ」と即否定された。しかし、私には夏美が不倫したと主張し得る根拠がある。
「冬子の父はオレじゃないだろ」
 冬子は父である私と全く似通っていない。その上、私と同じ卵型のアザが姉の秋奈にはあるのに冬子にはない。母である夏美とも遺伝的な共通点を見出せない。だが、夏美が冬子を産んだのは確かだ。私はその出産に実際に立ち会った。
 つまり、冬子は私ではない別の男の遺伝子を強く受け継いだのだ。「妻と間男の子とは知らずに育ててきた」と言う間抜けさを認めたくないが故に、「冬子は自分の実子だ」と思い込もうとしていたが、この際真実を明らかにした方が良いだろう。「不倫をしただけの夫」と「不倫をした挙句に愛人の子を産んだ妻」のどちらがギルティであるか一目瞭然だ。夏美に対して不動の優位性を勝ち得る。
 また、私の大事な者達の内、誰か1人をどうしても殺さねばならなくなった時、選択肢が2つに絞られる。すなわち、私を裏切った夏美か私の血を引いていない冬子だ。
 このような思惑で、私は冬子の父であることを否定したのだが、それに対する夏美の反応は、私に鋭い痛みをもたらすものだった。つまり、私の頬に強烈なビンタを放ってきたのだ。
「口を慎みなさいモチ。あの子は紛れもなく私とアナタの子モチ」
 静かだが多分に怒気が含まれた口調だ。目も据わっている。この状態の夏美はヒステリックに怒鳴っている時よりもさらに激昂している。父親が我が子との血縁を否定したのだ。母親として至極当然の怒りだろう。いや、これもただの演技に過ぎず、嘘を吐いているのかもしれない。
 しかし、これ以上追及しても冬子に関する疑惑を解消することは難しいだろう。無駄に疲労が溜まるだけだ。それに、もし冬子が私の娘であることが紛れもない事実ならば、私は父として恥ずべき過ちを犯したことになる。汚点はなるべく作りたくない。
 それゆえ、私は夏美と言い争いすることを避け、「ごめん」としおらしく謝ることにした。

 私は気まずくなって、夏美のいる寝室から逃げ出した。
 喉がとても渇いた。茶を飲もうと台所に行くと、春江がいた。彼女はショーツしか履いていなかった。溢れんばかりに豊かな乳房が私の視界に堂々と入る。本来であればこの場で襲い掛かるところだが、さすがに夏美とセックスしたばかりだ。再び女体を堪能する程の気力はまだなかった。
「奥さんとの久しぶりのセックスは楽しかったですかモチ?」
 彼女のあけすけな質問に私は気恥ずかしい思いをした。
「見たのか?」
「聞こえたんですモチ。お二人の声が大きくてねモチ。多分お子さんにも聞こえたんじゃないですかモチ?」
 確かに私も夏美も周囲を気にせず性行為に興じてしまっていた。それ程セックスに飢えていたのだ。我々の喘ぎ声が秋奈や冬子の耳に入っていたかと思うと、ますます気恥ずかしくなる。
 一方、春江は私が自分以外の女と性行為をしたにもかかわらず、怒っているどころか冷めた表情をしている。相手が妻だから割り切っているのか?そもそも私に対して恋愛感情がないのか?感情に流されて変な行動をすることがないからこそ、彼女を適切な不倫相手として選んだのだが、どうも感情を表に出さなすぎて真意を図りかねることがある。
「1番殺しやすいのは私ですよねモチ。家族じゃないものモチ。私は先生のラブドールに過ぎないモチ」
 などと自分を卑下するが、それも本意なのかわからない。「そんなことない」と私が否定すると、今度は「じゃあ証明してくださいモチ。私以外を殺してモチ」と指図してくる。
「殺すなら奥さんですねモチ。あのオバサンのこと嫌いでしょモチ?私が代わりに奥さんになるモチ」
 バカバカしい。まともに相手にしていられない。「頭を冷やせ」と言い放つと、私は春江に背を向けた。

 結局何も飲めなかった。喉の渇きを忘れるには春江が台所からいなくなるか、眠るしかない。私の寝室には夏美がいる。であれば、夏美の寝室で眠ることにしよう。
 夏美の寝室に向かうと、秋奈の部屋のドアが開き、手が1本出てきた。その手は「おいでおいで」と私を手招きした。部屋に近づいてみると、その手はいきなり私の腕を掴んで引っ張り、部屋の中へ引きずり込んだ。私の身体が完全に部屋に入り切るや否や、ドアがバタンと音を立てて閉められた。
 秋奈が仁王立ちしていた。彼女は完全に全裸だった。腹には私の子であることの根拠たる卵型のアザがあった。
「何のつもりだ?」
 私は冷静に尋ねつつも、内心では溢れんばかりの性欲に身を焦がされる苦痛を味わっていた。さっきの春江に対してはセックスする気力が湧かなかったのに、今の秋奈に対しては猛烈な性衝動が私の股間をいきり立てる。これが10代と20代の違いと言うことか?娘でなければ、問答無用で襲い掛かっていたことだろう。
「好きにしていいよモチ」
 秋奈は股を開き、両腕を上げ脇を見せた。なんと淫らな痴態だ。どういう企みなのかはわからないが、父と交わることに積極的らしい。しかし、それは倫理的に問題がある。私は体内を駆け巡る欲情を必死に抑えつつ、父として理性的な対応をすることにした。
「バカ、服を着ろ」
「なんでモチ?私とこうしたいんでしょモチ?」
「アホか」
「私のことをやらしい目で見てたでしょモチ?気付かないと思ったモチ?」
「いい加減にしろ」
「私は別にいいよモチ。お父さんのこと嫌いじゃないしモチ。私を生かせばずっと私とエッチできるよモチ」
 なるほど、秋奈は自身が生き残るために父に身を捧げようとしているのだ。誠二の妄言を真に受けるとは愚かな娘だ。普段の清楚で理知的な姿はどこに消えてしまったのか?
 しかし、どうしても私とセックスしたいと言うのであれば、それを拒絶するのはよろしくない。秋奈は「自分が生贄にされる」と言う不安を拭い去ることができないし、据え膳を喰わないのは男の恥だ。
 私は秋奈の控えめな胸に触れようとした。だが、秋奈はその手を払って拒絶した。
「まだダメモチ。全てが終わってからモチ」
 人をその気にさせておいて「おあずけ」するとは酷い女だ。娘に誘われ、手を出そうとしたら、拒否された。それは父たる者にとって最大の恥辱だろう。
 私は当然並々ならぬ怒りを覚えた。しかし、その怒りを表出させるのはさらにみっともないことだ。私はあくまで落ち着いた態度を装い、「オレは誰も殺さない」と理知的な口調で宣言した。
 だが、秋奈の耳には私の言葉が入ってこなかったようだ。彼女はとんでもないことを私に打ち明けてきた。
「殺すならお母さんモチ。お母さんも不倫しているモチ。離婚してその男と結婚するつもりモチ」
 この密告に対して、私はそこまで驚かなかった。むしろ驚かないことに驚いたくらいだ。驚かないのは、秋奈が噓を吐いていることを確信しているからではない。夏美が不倫しても致し方ないと思っているからだ。夫が散々不倫しているのだから、自分も不倫していいと考えるのはごく自然なことだ。
 しかし、裏切りは裏切りだ。男の不貞は許容され得るが、女の不貞は倫理的に異常と言わざるを得ない。糾弾されるべき悪質な行為だ。事実であれば、「いざと言う時の殺しやすさ」において夏美は他の者より一歩リードする。
 だが、恐らく秋奈の虚言だろう。夏美に対して良く思っていないから、母を陥れるつもりなのだろう。そして、良く思っていないのは夏美だけではないらしい。
「春江でもいいモチよ。あのビッチは社会的地位に弱いだけのバカ女モチ。絶対にお父さんを裏切るモチ。でも、妹は殺しちゃダメモチ。あの子を殺したらエッチさせないモチ」
 秋奈も私が必ず誰かを殺すと決めつけている。夏美や春江と同じだ。どいつもこいつも何故大学教授である私ではなく、あんな胡散臭い小僧を信じるのだろうか?私に媚態を晒しつつも、信用しているのは奴の方だ。異常極まりない。
「服を着ろ」
 と私は冷たく言い放つと、逃げるように秋奈の部屋を出た。

 私は冬子の部屋に入った。この家の中で唯一まともな感性を持っているのは彼女だけだ。私は癒しが欲しかった。たとえ自分を蛇蝎の如く嫌っていたとしても。
 冬子はまだ起きていた。ベッドの上でスマートフォンを弄っていた。鬱陶しそうに私を睨みつける。
「何?」
「いや何でもない」
「なら出てってよ」
 予想通りの冷たい反応だ。しかし、その冷たさがとても心地良い。冬子だけは何も変わらないでいてくれる。
 そう安心していたが、冬子も誠二の戯言を真に受けていた。彼女は自分を指差して、次のような言葉を平然と口にした。
「殺すのは私でいいよ」
 私は面食らった。普段から自己中心的な言動をする冬子が、自分の死を望むとは思いも寄らなかった。他の女達は自分以外の者の死を望み、自らの肉体を以て私に媚びていた。一方、冬子は正反対だ。敵意を剥き出しにしているのは、私に殺されてもいいと思っているからか?
 何故死にたがっているのか?「コイツに媚び諂うくらいなら死んだほうがマシだ」と言うことか?いや、そうではないようだ。冬子は自分を殺すべき根拠を至って冷静に伝えた。
「私ってお父さんの血が繋がっていないんでしょ。お母さんが別の男とセックスして作った。『托卵』って奴だよね。しかも、顔も性格も悪いし、何も出来ないし、家族の恥だよ、私は。だから、さっさと殺した方がいいよ。いや、殺しても意味がないか。だって、私はお父さんにとって『大事な人』じゃないでしょ?だから、私だけ何も起こらない」
 私はまたも面食らった。私が普段冬子に対して感じている印象を、冬子自身も感じていた。いや、違う。彼女は父が自分をどう見ているか気付いていた。嫌われていることをわかっていたのだ。
 確かに私は冬子を嫌っている。父に対して常に反抗的だし、何の性的魅力もない。彼女にいまだ何の変化も起きないのは、彼女の指摘通り、私にとって「大事な人」ではないからかもしれない。
 にもかかわらず、私の心には「冬子を傷つけたくない」と言う思いが生じていた。「冬子を守らなければならない」と言う父親らしい義務感が生じていた。これは一体どうしたことだろう?
「そんなことを言うな。お前はオレの子だ」
 これは本音だ。心から冬子を自分の子だと信じてしまった。自分と確かな繋がりがあることを信じたくなってしまった。
「私はお父さんの子じゃない方がいいと思ってる。だって最低だもん。恥ずかしい。汚らわしい」
 などと冬子に毒づかれても、私は怒りを覚えなかった。むしろ、娘にそんな風に思われてしまう自分に怒りを覚えてしまった。普段では考えられない心理状態だ。
「そうだな、お父さんは最低だ」
 と私が素直に認めると、冬子は意外そうな顔をした。

(14)選定
 私は夏美の会社を訪れた。常務の男が応対した。
「社長の体調はいかがでしょうか?」
「お陰様で回復に向かっています」
「それはよかった」
「ただ万が一と言うこともある。もし妻が死んだら、この会社はどうなります?」
「まさか病状が重いのですか?」
「いやいや、仮定の話ですよ。どうなるんです?」
「まあそれは非常に困りますね。この会社は社長の強烈なワンマン…ああいや、強いリーダーシップで動いてるから。正直早く復帰していただかないと、経営に悪影響が出ますね」
「つまり、生きる価値がある?」
「え?それはまあそうですね」
 夏美が死ぬと、会社が困る。夏美の収入がなくなると、我が家も困る。つまり、夏美には十分に生きる価値がある。夫婦と言う関係上、気軽に性欲処理できるのもポイントが高い。

 私は秋奈と冬子の学校を訪れた。生徒指導主任の女が応対した。
「秋奈さんは成績が常に上位だし、品行方正で後輩達の良い模範となっています。特にお父様がご不安を抱かれることはないかと思います。でも、冬子さんの方は、まあ率直に申し上げますと、成績もあまり芳しくなく、問題を起こすことも少なくありません。友人も作らず孤立しているようだし、ちょっとまあ、なかなか対応に困っていると言うのが本音です。ただ、根はいい子だし、地の頭もお姉様に引けを取らないので、今後も彼女を適切に指導し、誰にも誇れる立派な学生にしてあげたいと考えています」
「なるほど、それを聞いて安心しました。これからも娘達をよろしくお願いします」
「かしこまりました。ご期待に沿うよう適切に指導して参ります」
「ところで、もし秋奈と冬子のどちらかが死ななければならないとすれば、先生はどちらを選びますか?」
「え?すみません、質問の意図がわかりかねるのですが…」
「言った通りです。どちらを生かした方が社会のためになるかをお答えいただきたい」
「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできかねます。どちらも我が校の大事な生徒です。アナタにとっても大事なお子さんです。どちらが優れているとか生きるべきとか考えてはいけません」
「そんな綺麗事は聞いていない。どちらを殺せばいいんだ?」
「やめてください。それは親としてあるまじき言動ですよ」
「もういい!」
 秋奈は誰の目から見ても優秀だ。誰にも恥じることのない立派な大人になるだろう。つまり、社会的に有意義な存在だ。私自身も、そんな素晴らしい娘を育てた親として、周囲の敬意を集めるだろう。それに、秋奈を生かせば、彼女の瑞々しい肉体を楽しむこともできる。
 一方、冬子は不安な要素しかない。誰の目から見ても出来損ないだ。まともな大人になる未来が想像できない。ニートか水商売か犯罪者か、社会のゴミになる可能性は決して低くない。私自身も「親失格」の烙印を押される恐れがある。それに、冬子には性的魅力は全く感じられない。女としての価値が微塵もない。生かすべき根拠がない。
 にもかかわらず、冬子を死なせたくない気持ちが異様に強い。「冬子を死なせれば秋奈とセックスできないから」と言う理由もあるが、それ以上に「自分の娘だから」と言う理由が強い。何故冬子に対して急にそんな感情が芽生えてしまったのだろうか?
 春江については誰かに確認するまでもない。生きるに値する。研究者として非常に優秀だし、身体も一級品だ。裸を想像しただけで勃起してしまいそうだ。
 とどのつまり、死ぬべき女は一人もいない。誰もが私にとって大事な人達だ。いや、そもそも選定していること自体がおかしい。馬鹿げている。私ともあろう者が何故あんなクソガキの虚言に踊らされているのか?もう懲り懲りだ。

 私は地下室に降り立った。誠二を監禁してから数日が経つ。ずっと拘束していて、風呂にもトイレにも行かせていない。そのため、身体から悪臭が漂い、糞尿が散らばっている。時計もなく外光も入ってこないため、時間の感覚が麻痺しているに違いない。飯や水もほとんど与えていないから、飢餓状態になっているはずだ。こんな状況下において、普通の人間がまともな精神状態を保つことは極めて難しいだろう。
 にもかかわらず、誠二は相変わらずニヤニヤしていた。何事もなかったかのように、至って穏やかで余裕のある表情をしていた。私は改めてこの少年が異常者であることを認識し、背筋を凍らせた。
 コイツは人間ではない。人間ではないとしたら、一体何だ?
「お前は何者だ?」
「アナタの息子です」
 その直後、私は誠二の顔を一発殴った。そして、彼の前にひれ伏した。誰の目から見ても明らかな土下座だ。
「わかった、もういい、悪かった、オレが悪かった。謝るからもうやめてくれ」
 心の底からの敗北宣言だ。もう限界だった。耐えられなかった。プライドをかなぐり捨ててでも、この悪夢から一刻も解放されたかった。
 しかし、悪夢はまだ私を縛りつけるつもりらしい。私は床に何か白い液体が付着していることに気付いた。それはもちろん糞でも尿でもない。牛乳でもない。
「なんだこれは?」
 と誠二に聞きつつも、私はこの液体の正体を知っていた。また、この液体が存在する理由についても何となく理解できた。だが、認めたくなかった。そんなことが起こり得るはずがない。決してあってはならないことだ。
 しかし、誠二はその「あってはならないこと」を実に平然と口にした。
「精液です。フェラチオされたのです」
「誰だ⁉︎」
 私は激昂して誠二の胸倉を掴んだ。
 まず、冬子は違う。冬子は自分の死を望んでいたから、こんな愚行をしでかす訳がない。では、春江か?夏美か?それとも秋奈か?自らが助かりたいばかりに、小僧の粗末な棒切れをしゃぶった淫売は一体誰だ?私を裏切った馬鹿女は誰だ?
「それは教えられません。プライベートに係ることなので」
 などとニヤつきながら言う誠二の顔を私は思い切り殴った。けれど、誠二のニヤニヤはまったく消えない。むしろ奴の口角がますます上がった。あからさまに私を嘲笑していた。
「まさかみんなを呼んで『コイツのチンコをしゃぶったのは誰だ』とか問い質すつもりじゃないでしょうね?これ以上彼女達に恥を掻かせないでください」
 私は何度も殴った。殺すことも辞さない勢いで殴りまくった。しかしそれでも誠二の邪悪な笑顔を取り除くことはできなかった。

(15)裏切り
 何も状況が進展しない状態がしばらく続いた。誠二は相変わらずニヤニヤしているし、冬子は相変わらず邪険にするし、他の女達は相変わらず誘惑してくる。いつ終わるとも知れない悪夢に、私の精神はいよいよ崩壊しそうになっていた。
 だが、事態は突如変わった。いつの間にか誠二がいなくなっていた。完全に拘束されていたから自力で逃げられるはずがない。つまり、私が留守の間に誰かが奴を解放したのだ。解放できるのは我が家の女達だけだ。
 当然私は激昂した。女達を地下室に集めて怒鳴り散らした。
「誰だ⁉︎答えろ!魂胆はわかってる!あのガキへの服従をアピールして自分だけ助かろうって思ったんだろ!この自己中の醜いクソビッチが!」
「私はやってないモチ!」
 最初に無罪を主張したのは夏美だ。「あの女がコッソリ地下室に入るのを見たモチ!」と春江を指差した。しかし、春江は全く動揺しない。「私じゃないモチ。そんなことをしても無意味だって理解してるからモチ。理解ができないその女か、その女の血を引いたお子様のどちらかでしょモチ」と冷ややかに返した。秋菜も「じゃあ、お母さんモチ。この中で一番頭が悪いモチ」と冷ややかに母親を見た。
「アンタ、実の親に向かってモチ!」
 夏美は秋菜に掴みかかろうとしたが、「黙れ!」と言う私の一喝で制止した。別に夏美だけに対して怒鳴ったのではない。醜い言い争いをする女達全てに怒りを覚えた。
「名乗り出なければオレは誰一人殺さない。全員死ぬがいい」
 そう宣言すると、秋奈は「本気で言ってるのモチ?」と不安げな顔になった。「試してみるか?」と私は冷ややかに返した。誠二の妄言をまだ信じてはいないが、奴を信仰している女達にとっては非常に効果的な脅し文句だろう。夏美は明らかに動揺している。春江は相変わらずポーカーフェイスだが、内心穏やかではないはずだ。しばらく待てば、犯人が罪を告白してくるはずだ。
 私の予想通り、犯人は自白した。だが、犯人は私の予想通りではなかった。
「私がやった」
 冬子だ。私は呆気に取られた。他の女達もポカンとした。誰も想像だにしなかった。
「何故だ?」
 私が動揺しつつ尋ねると、冬子は「助かりたかったから」と悪びれもせずに答えた。
「そうか…」
 私は大きなため息を吐いた。その直後、私の拳が冬子の顔面にめり込んだ。冬子は倒れた。私は尚も冬子を殴打しようとしたが、女達に止められた。
「お前は本当にオレを困らせてばかりだな!我が家の恥だ、お前は!今殺してやる!」
 私はあらん限りの憎悪を込めて冬子を罵った。一瞬でもこの汚物に愛しさを覚えてしまった自分がバカだった。結局冬子もただの女でしかなかった。
「この子を殺すならまず私を殺してモチ!」
 と秋奈が涙ながらに私に訴えると、冬子は「ダメだよ、お姉ちゃん」と姉を制止した。そして、私を睨みつけて次のような暴言を吐いた。
「一番死ぬべきはアンタだよ」
 私は爆発した。

第1話:https://note.com/kyufukin_portal/n/ne01e572a8e19
第3話:https://note.com/kyufukin_portal/n/n7a7e124a05a4

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