私のプロフィール




私は1980年生まれの42歳だ

これは私のこれまでの人生の振り返りでありプロフィールのようなものだ



私は精神的な成熟が遅かったように自分で感じている
子供の頃から周りの人が何をやっているのか理解できなかったのだ

何をしては駄目で何をして良いのか、小学生の頃からそれが理解できなかった

勉強は好きではなかったが本を読む事は好きだった、成長するにつれ視力が下がっていったのに、メガネをかけていなかったため、高校生の頃は席を一番前にしてもらっても黒板の端が見えなくて、諦めて一番前の席で堂々と寝ていた事をよく覚えている

ただ好きな事だけは熱心に学んでいたので、理科系だけは黒板が見えなくても先生の声と教科書で内容を理解しており、その成績だけは学年トップであった
なおいつも寝ているその他の科目は言わずもがな、嫌いだった英語など下から数えた方が良いレベルであった

とても極端な学生生活を送っていたのだろう
「いつも寝ているのに科学だけは点数がいいよね」とクラスメイトに言われた事を覚えている



私が大きく変わった時期が人生で2回ある

1回目は20歳で社会に出た時だ

自分で稼ぐ事よりも、働くという事、自分に何が出来るのか何をやって良いのか、何を学ぶ必要があるのか
人生で初めてそれに対して真剣に考えるようになったのだ
自分自身で自分のやる事を決める、という事をそれまでやっていなかったのだと、今その時の自分を思い出すとよく理解できる

自分にとって良いと思った事は何でもやったと思う
うまくいく事もあれば失敗する事もあった
変わらなかったのは「死ぬ時にまぁまぁ良い人生だったと思って死にたい」
ただそれだけだ、いつから、何故そう考えるようになったのかは分からないが、昔から今まで変わその考え方は変わらず一貫している、それは今後変わる事もないだろう
そして沢山のことを経験し、結婚して娘もできた、結婚後も変わらずに貪欲にさまざまな事を学んでいた


2回目に大きく変わったのは39歳で離婚を経験した後だ

それまでの私はお金を稼ぐ事に人生の焦点を当てており、それを実現する為に365日起きてる時間は全てその事を考えて様々な事を実行していたように思う

それと同時に元妻が幸せな生活ができるように自分が出来る事は何でもやっていたと記憶している(これは私の主観だ)

料理は私が担当しており、朝は一番に起き朝ごはんとお弁当を準備してから元妻と娘を起こしていた事は忘れないだろう

私が苦手なのは掃除と食材以外の買い物だ、たくさんの商品から納得できるものを探すのがとても疲れるのが苦手なのだ
食材は見るとどんな料理をしようかとワクワクするため食材の買い物だけはずっと好きである

元妻には苦手な買い物と掃除をメインで任せていた

7年程度はそれでうまく回っていた

しかし、「お金は消費に使えばなくなる」

その事に気がついていなかった、必要なお金は稼げば良い、稼げば稼ぐほどより稼げるようになる、そう思い込んでしまっており、しかもある程度稼ぐ事が出来てしまっていたのである

私の望みは「まぁまぁ良い人生だったと思って死ぬ事」である

それが目の前のお金のやりくりで自分の使えるリソースを全て使い切ってしまい、余裕のないストレスフルな生活をしてしまっていたのだ

そして私は精神的な疲労の蓄積が限界に達し、体のシステムに異常をきたした、一般的には「鬱病」という状態だ
ストレスをアルコールで誤魔化していたので「アルコール依存性」とも呼ばれる状態でもあった

結果として私の収入は減り、元妻がそれを補填する為に働くようになったのだが、元妻の人生の希望は「セレブな専業主婦」であったようだ
それに気がつく発言は沢山あったのに私はスルーしてしまっていた

そして夫婦間の話し合いが決定的に足りない状態が続き、人生の目標や目的についてすり合わせをしていなかったツケが元妻が働き始めて3年後に離婚という形で出た

私は追い出されるように離婚を迫られ、それを受け入れざるを得なかった

一度受け入れた事は覆らない、私は沖縄の実家に戻り2度目の人生を送る事になったのだ

2回目の変化は時間がかかった、離婚前の考え方から抜け出すのが難しかったのだ

幸い、実家は私を受け入れてくれた(長男なので戻ってきてもらわないと駄目だという沖縄の考え方にマッチしていたとも言う)

帰ってきて最初はお金に稼ぐ事に囚われており、元妻を見返したいという気持ちもあったのだろう、沖縄でどうやって稼ぐ事ができるか、そればかりを考え「不眠症」という厄介な状態を抱えながら、日々できる事を「限界まで」やっていたのだ

そんな事をしていて体に良いはずもない、離婚を機にお金の管理(元妻はお金の管理はしないという宣言をしていたため私が全てしていた)や沢山のお金を稼ぐというストレスから解放されたはずなのに、自分からストレスを抱え込むような活動をしていたのである

その結果、自分の思うようにいかず自暴自棄になる期間が出来てしまい、その期間まともな食事をせずにアルコールを大量に摂取するという事をして、2回、立ち上がった瞬間に気を失って救急車で運ばれた(医者によると栄養不足による貧血のようなものだろうという事だった)

私は頑張らないよう頑張るという矛盾した目標を立てざるを得なくなり、それを意識して2年程度、元気になると無理をしてしまう事を何度か繰り返して、やっと肩の力を抜く事ができるようになった

これが2回目の変化である
20歳で働くようになってから私は仕事ではもちろん、プライベートでも常に緊張していたのだ、その事に気が付いたのは散歩を始めた事がきっかけに思える

散歩をしながら1人で考えていると今まで蓄えた知識や経験をまとめる事が出来た

自分ではインプットした知識をアウトプットしているつもりであったが、それでは足りなかった、
インプットした知識と経験をアウトプットした後にじっくり検証する時間も必要だったのだ

それまではアウトプットして検証したらすぐ次の行動を起こしていた、もちろんそれも必要だし大切だ

しかし、自分に自信があまりない(根拠が薄い)状態でそれをやっているのは非効率だった事に気が付いた、自信があまりない状態で行動するのは不安が付き纏うのだ

2回目の変化で重要なのは自分の選択と行動が正しい結果として出る事に気が付いた事である

私が選んで行動する事は自信を持って良いと理解できたのだ

「結果は覆せない」

その事を知ってはいたが、理解していなかった
覆せない結果は受け入れるしかない、それが自分の出した結果でも「他人が出した結果」でもである

「自分を含めた、誰がどんな結果を出してもそれを受け入れる」

現在の私はそれを定着させている期間だと自分自身では認識している

今のクリエイターとしての活動も自分自身にとって

「自分がやる事に間違いはない、大切なのは出た結果に対するアプローチであり、何を選択し、実行するときも自信を持って行動する」

この事を定着させるための一つの要素になるだろう

長くなってしまったが、これが私の半生である

これを読んだあなたがやる事も間違いなどないのだ、自信がない人は私の記事を読んで欲しい

プーチンがやっている事も習近平がやっている事も間違いではないし、アメリカがやっている事だって間違ってないのだ
世界を巻き込んだ大きな行動だ、結果は少しずつしかでないだろう、だが既に結果として出ている失われた命は戻る事はない
それが正義か悪かなんて関係がないのだ、起きた結果を覆す事はできない

個人個人がやる事はその結果を受け入れて自分が納得する形で人生を生きることである

これから先、文明の進化はより速度を増すだろう、全てを学ぶ事は不可能だと感じる

自分が何に興味関心があり、何が得意で何が好きなのか、人それぞれ違うのだ、自分の人生は自分のものであり、他人にあれこれ言われても気にする必要はない

自分以外の人がその人生の責任を持つなんて事は出来ないのだ

自分で自分を見つめ、自分に問いかけ、どんな人生を送るのか決めよう

何か追記する可能性もあるが、まぁ後はこれからの話だ、記事にしようと思う

長々と読んでくれて感謝する

「求道」

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