技を盗むということ
可もなく不可もなく超絶平凡なわたし。
これまでの人生、ずば抜けて良いことも、悪いことも無かった気がする。
飛び跳ねるくらい嬉しいと思うことや、どん底まで落ち込んだこともあるけど、別に珍しいことではない。
歳相応にというか、ライフステージを重ねる度に立ちはだかる壁にちゃんとぶつかって、それなりに乗り越えてきた感じだ。
高校生くらいまでは、いい意味でも悪い意味でも『こんな波瀾万丈な人生、私くらいじゃね!?』とか思っていた。
だからこそ、それが自信になった時もあったし、何くそ精神で踏ん張れた時もあった。
二十歳を過ぎ、大学3年くらいからだろうか。
少しずつ自分のパターンや生態を客観的に理解できるようになってきてからは、“可もなく不可もなく平凡なわたし”が確信に変わった。
だからといって、ネガティブになった訳ではない。
与えられた自分のポテンシャルを少しでも発揮しようという思考が生まれ、それまでより生きやすくなった感じがする。
そして、気づいたことがある。
“可もなく不可もなく平凡なわたし”がライフステージを重ねる度に立ちはだかる壁をなぜ乗り越えて来れたのかを。
私は人に恵まれていたのだ。
ライフステージごとで出会う先生、先輩、後輩、同級生…。
とにかくいろんな人にかわいいがってもらったし、面倒みてもらったし、教えてもらった。
その人たちの存在が私の支えになっていたし、弱っちい私を成長させてくれた。
優しさで包み込んでくれた人、厳しい言葉で向き合ってくれた人、いろんな人がいるけど、『この人から盗むぞ』という心意気で必死に生きてきた気がする。
「どんな人も出会うべくして出会う人。」みたいな言葉を知ってから、この“盗み”をより強く意識するようになったと思う。
んで、こっからが本題。
前段がものすごーく長くなったけど、昨日「人を敬いなさい」というおみくじをひいた私が気づいたこと。
『この人から盗むぞ』の心意気が、いつからか人を生意気に扱うという事態に変わっていたこと。
リスペクトの気持ちがあってこその“盗み”が、自分を作る1つの要素として簡単に捉えて、ただ盗んでいただけになっていたこと。
幾度となく出現する“中途半端”の原因も恐らくこれだったのだろう。
いや、これに違いない…。
心が苦しい。
気持ちを切り替えて、出会う人すべてにリスペクトで向き合っていこうと決めた。
だけど、今、私の心は廃れきっていた。
ガシガシの荒れ地みたいだ。
初めての感覚。
生み出したいのに何も無い。
とにかく今は、徹底的に自分を労ることにした。
湯船にお湯を張り、じっくり浸かった。
今年もあと3週間ほど。
しばらくバスタイムの充実を図っていこうと思う。
健康って大事だと改めて感じさせられた週末。
体も心もずっと健康でありたい。