チェンソーマンについて長女と話す
チェンソーマン第一部読み終わりました。
ネタバレ含みます。
第一部読み終わりました。
これはもう1回読まないと深く理解できない。
読むたび発見がありそうな漫画。
ラストに向かって悲劇が畳み掛ける。
ジワジワ死なない。
主要人物がパッと死ぬ。
え?うそ…って頭のどこかで生き返る展開とか?と考えてしまうと同時に、その展開は禁じ手だ。とも思ってしまう。
パワーちゃんの「命は平等に軽い」という価値観。
大切な人でも、そうでなくても、命は儚く軽い。
誰かと話したくなる漫画。
私が読み終わるまで長女がネタバレせずに待っていた。
入院中、大部屋で声を殺して泣きながら読んでいたそうだ。
アキくんの死ぬところ。
アキくんは夢の中で雪合戦をして楽しそうに遊んでいる。
現実では街を破壊して殺戮している。
最後までデンジの呼び掛けに正気に戻ることなくデンジに殺される。
長女と話していると見ている側が違った。
長女「デンジの声を聞いて、正気に戻って欲しかった。デンジがかわいそうで仕方ない」
私「アキくんが自分が殺戮した事実を知らないのがせめてもの救い」
でもデンジが…
いやアキくんが…
というやり取りの末、
なんでママは死んだ側で言うの!?
と怒られた。
長女はデンジ側、私はアキくん側を思っていた。
長女はこれから生きていく者の気持ちを重要にしていて、私は亡くなる人の最後の光景を重要としているのかもしれない。
どっちも残された者の、これからも生きていく苦しさから考える。
長女は大切な人が最後に自分を認識してくれなかったと思って生きるのが辛い。
私は認識してくれなかったことより大切な人が絶望の中死んだと思って生きる方が辛い。
何を重要としているか。
それは思いの癖なのかもしれない。
何を見て何を感じてきたか。
何を思うことが苦しかったか。
そこに当てはまるものを知らず知らずに選んでいるのかもしれない。