熱
スマートフォンは身体機能の拡張であり、これによって人はインターネットを通して時間も場所も問わず、手の届かないものを目に入れることができるようになった。
しかし、ふと周りを見渡すと、ぞっとする。
電車での移動中は一人残らずスマホを見ている。
音楽も本も映画も、ほとんど全てスマホ一つで完結できるので、それ自体は特別おかしなことだとは思わない。が、死んだ目でSNSばかり見ているのが大多数だ。自分が乗る電車に固有の事例とは思えない。
大勢の意識が、遠くの世界に行ってしまった。私は、私たちは、こんなに近くにいるのに。満たされない寂しさを覚えそれを紛らわす、あるいはそれを解決するための繋がりを求めて、遠くを目指して、行ってしまった。
インターネットはあくまで自分と世界を繋ぐ情報網のことであったはずなのに、これではただ自分をがんじがらめにする網でしかない。
手が届くはずのものを日々見落としながら、今日も明日も、自分を満たしてくれる何かを探してさまよっている。
信じたいものを信じたいように信じて、ただただ受け身で、熱くなれるものを求めて、そうしている間もどんどん冷たくなっていってしまうのに。何かと言い訳をしながら、悲劇を身にまといながらじっとして、ただ時間が過ぎていくだけ。
私は常に熱を感じる方へ向かっていきたい。人生はそうあるべきだという哲学があるし、そうでなければ面白くない。SNSでおもしろおかしく刺激的に加工されたフィクションなんかでは到底感じられないような、熱くて深くて、それでいてクールな、人間を感じられる世界。インターネットを眺めているだけでは、決してたどり着けない日常。
先日、ふと電車で思ったことの記録。
それでは、行ってきます。
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