年の初めのご挨拶

あけましておめでとうございます。
さてこの年末、私は有休も組み込み9連休を実現したわけですが、過ぎ去ってみれば9連休のかくも短く儚いことよ。
体感では4連休なので、これは是非大声で理不尽であると叫ばせてもらいたい。

9連休が長いか短いかという点は、これは論争になりそうなので置いておく。
一生遊んで暮らしたい派に属する私には当然のことながら短いのだが、一般的に日本では9連休はありがたく贅沢なものだ。
私だって9連休なんて久しぶりだ。
有休を2日続けて申請した時には若干の後ろめたさを感じたくらいの常識人なのである。

だけど、よーく考えてみると9日なんて一週間と2日だ。(何を言っているのか)
その程度を殊更にありがたがるなんて、我々は飼いならされすぎていやしないか。

いやいや、日常に小さな喜びをどれだけ感じて生きられるかが大切なんだよ。
私の中のみつをがそう仰っているので不平不満はここまでにしておく。

だが、休みの日の体感が異常に短く感じるという点においては大衆からの賛同を得られるのではないかと思う。

100歩譲って、9連休は「長い」と仮定しよう。
でも体感が4連休ならこれは年末年始の休暇としては「短い」と言わざるを得ない。
9連休で、体感が2週間ならどうか。
みんな幸せ、オールハッピー。

幸せな時間こそ体感として長くあるべきなのだ。
それなのに現実は非情である。
平日、勤務中の昼下がり15時から17時のたった2時間は永遠の如し。
気力を振り絞って必死にPCとにらめっこして、よし!30分は経っただろうと時計の針を確認すると7分しか経過していない。
この時間帯の2時間の適正体感は15分であっていただきたい。

楽しい時間、幸せな時間ほど早く過ぎ去ってしまう。
切ない。
この切ない感情を古来から日本人はわびさびと呼んだのであろうか。
分からん。

さて、年末から実家に帰っている。
夫とケンカして、などではなく、毎年恒例の帰省である。
実家大好き人間の私にとって年数回の帰省は人生の楽しみと言っても過言ではない。

慣れ親しんだ母の料理を食べられる幸せ。
栄養が体中をめぐり、毎回帰省すると見た目が3歳くらい若返る。
水も合っているらしく、肌および髪にツヤが出る。
帰省は究極のアンチエイジングだ。

最愛の孫の姿にデレデレと喜びを隠さない父の姿。
初日は借りてきた猫のように大人しい我が息子、福太郎が日に日に我が物顔で実家を闊歩するようになるふてぶてしさも愛しい。

ことにお風呂上がり、全裸でリビングの扉をパーーッンッ!と勢いよく開けなぜか得意げな顔をしてむちむちと歩く様子は毎回母の爆笑を誘っている。

福太郎のお風呂上がりにタイミングを合わせて母は、自らの手でみかんを絞りお手製のみかんジュースを用意する。
「福ちゃーん!美味しい美味しいみかんじゅーじゅーよ〜!」
小鼻を膨らませストローにかぶりつく孫の姿を嬉しそうに見つめる母。

私の前にも福太郎に用意したのと同じジュースが置かれている。
コップの中の、目が覚めるように鮮やかで美しいオレンジ色。

「うんまーい!!!」
太陽が育んだ甘さと適度な酸味が最高の塩梅で、これは間違いなく神の御業。
ビタミンが指先まで行き渡って、心底元気で満たされる気がする。
あまりの旨さに毎度飲む度に騒がしく喜びの声を上げる私。

ぷはっ!
隣で福太郎がジュースを飲み干し、息をつく小さな音がする。

孫をお風呂に入れていた父が汗を拭き拭きようやく戻ってくる。
「汗が止まらん」
孫とのお風呂、普段より長風呂になりがち。

3週間の滞在予定もあと1週間となった。
体感ではまだ1週間しか経っていないため、これは理不尽。
どうしたって楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。
だからこうやって時々noteに記録し、充足感を噛みしめる。

全ては留まることなく流れ去っていく。
だからせめて楽しかったこと、幸せを感じたことを時々は書きとめて時の流れに抗いたい。
無駄な抵抗であることは百も承知だ。
書くことや、写真に残すこと、それらは時の流れを前に、為す術もない人間の可愛らしくささやかな抵抗なのかもしれない。

今年も私と私の家族が健康で幸せに過ごせますように。
そろそろ夫は寂しくなっているらしく、日々のラインのメッセージが増えてきた。

残り1週間も幸せを噛みしめるように大切に過ごしたい。
出来ることなら仕事なんかに時間を割かず大切な人たちと遊んで暮らしたい。
…ああ、思考が一巡し、振り出しに戻っちゃった。

今更ですが今年の目標は、
・日常に非日常を意識的に作って日々を積極的に楽しむ
・少しは歩く(健康のために)
これでいこうかな!

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たいたい
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