いつでも最高の自分でいれたらいいのだけれど
ここ数日、福太郎が再び悪鬼と化していた。
遅れてきたイヤイヤ期か、はたまた反抗期か。
悪鬼福太郎バージョン時の彼は取り憑かれたようにテレビに執着する。
普段から彼はDVD鑑賞には並々ならぬ情熱を注いでいるが、悪鬼時には情熱を越え激しい執着となる。
目を覚ましている間は常にTVが付いていないといけないし、TVの画面に映るのは魅力的なコンテンツでなければならない。
「今この瞬間の自分の気持ち、体調、テンションにシンデレラフィットするDVDはどれか」その選択には一切の妥協がない。
手持ちのDVDコレクションの中から見たいものを見つけ出せることもあるが、大抵の場合、彼が探し求めるものは彼のコレクションの中にはない。
というか、おそらくではあるが、そんなDVDは世界中のどこにも存在しない。
悪鬼福太郎バージョンの彼を満足させることのできるDVDは、この世のどこにもないのだ。
10回、15回と中腰でDVDの出し入れを繰り返し、溜まりに溜まった乳酸とイライラが私の体の中で嵐のように吹き荒れる。
福太郎の今この瞬間の自分の気持ち、体調、テンションにシンデレラフィットするDVDとはつまり、かぐや姫が結婚の条件に男たちに要求した仏の御石の鉢、 蓬莱山の宝の枝、唐土の火鼠の皮衣 、竜の頸の五色の玉、燕の子安貝だ。
無理難題であり、そもそもそんなものは存在しない。
かぐや姫もなかなかの鬼畜だがそれでも自分の結婚と引き換えにそれらを要求している。
ところが福太郎が差し出すものはなにか。
せいぜい微笑み程度である。
なんというド畜生。
我々夫婦が、可愛い可愛い、お宝お宝、と言って育ててきた結果彼の自己肯定感の高さはチョモランマを超えてしまった。
赤ちゃん時代はほんとに常に上機嫌でニコニコと福を振りまいていた福太郎が今、始終怨嗟の唸りを上げ、気に食わないことがあると、小さな爪で大人の二の腕の柔らかい部分をキュッとつねって自己表現する。
いい年した幼児が年がら年中ご機嫌陽気というのも逆に異常だし、嫌、とか、違う、とかいう感情が出てきたのはおそらく正しい成長の過程にあるのだろうと頭では分かっている。
まだ全然喋ることができない彼にとって、それを伝える術がこのような形しかないのも分かる。
それにしても最近の不機嫌の頻度はただ事じゃない。日々自分の忍耐力との勝負だが、残念ながら自分に勝ったことは一度としてない。
そろそろそんな自分にも失望してきた。
今週末は夫の妹の2人の娘たち、つまり姪っ子たちが泊まりに来た。姪っ子たちは福太郎と年も近く、仲良く遊んでくれるならと淡い期待をしていたのだが、運悪く悪鬼バージョン時とかぶってしまい、夢は砕け散った。
ゲームをしても順番を守るという概念がはっきり理解できていないため、彼がいると世界の秩序が乱れる。姪っ子たちの世界の秩序を保つため、ぴったり大人の誰かが常に息子をマークしていないといけない。
順番を破りそうになる度に、え?どうしてそんなことが起きるの?と驚愕の表情を浮かべる姪っ子たちに謝りつつ、福太郎を抱え強制撤去する。
心身ともに疲れる。
当たり前だが姪っ子たちとは言葉でのコミュニケーションができる。
「お菓子食べたい」という要望に対し「おもちゃをお片付けしてから食べようね」が難なく通じる。通じるから彼女たちは待てる。
その楽さに私と夫は衝撃を受けてしまった。
「俺ら福太郎しか子供いないからこれが普通だと思ってたけどさ、もしかして福太郎育てるの結構大変なんじゃない?」
夫が急にそんなことを言い出すものだから笑ってしまった。
彼女らに「どのDVD見たいの?」と聞けば答えが返ってくる。
なんて便利なのだろうか。
ただ、もし今の福太郎の状態が普通の子のイヤイヤ期と同等のものであるなら、例えば言葉でのコミュニケーションが可能だったとしても、結局何をしてあげても「イヤー!」となるのだろうな。
となると、まあ言葉が通じようが通じまいが状況に大差はないのかもしれない。
ここで一つ。私は親としてあってはならないことをしてしまったことを懺悔する。
今日の午後、とても姪っ子たちと遊ばせられる状態ではなかったムスコを私と夫は良かれと思ってコメダ珈琲に連れ出した。普段と違う環境に身を置くことで彼の悪鬼モードをチェンジできるかもしれないと思ったのだ。
結果、グズりは更にマシマシ。どうやら室内ではなく屋外を散歩したいらしい。グズりがあまりにひどすぎるためにコーヒーもそこそこに私と夫は交代で席を立ち、コメダ珈琲の周囲の灼熱のコンクリートロードを散歩するはめになった。
暑い。溶ける。太陽のキスマーク(シミ)が増える恐怖。これはなんの修業か。
這々の体で我が家にたどり着きホッとしたのもつかの間、福太郎は部屋までの階段を自分の足では登らないことを宣言したため、カッとなった私は彼を玄関に放置した。
きっと腹を立てた彼は玄関先の靴をポイポイと投げつけ不満を表明するだろう。
そのくらいならあとから片付けたら良い。
私は玄関においてあるガラス製の義母の花瓶の存在を忘れていた。
ガラガラガッシャーンという派手な音が聞こえたとき、私は心配よりも怒りが先に来て、駆けつけるのを一瞬躊躇った。
義母が慌てて福太郎に駆け寄る声が聞こえた。
義母のように本来は真っ先に怪我を心配すべきだったのに、あてつけのように花瓶を割り大きな音を立てた息子に腹が立ってしまったのだ。
私はあのとき最低だった。
息子は大怪我をする可能性があったのに。
今日のことは、親として絶対に忘れてはならないことだと思った。
なんだか久しぶりに自己嫌悪モードになってしまった。まあ、いつでもどんな状況でも最高の自分を出し続けるのは不可能だ。時には最低の自分が顔を出すこともある。
それでも、やっぱり今日の自分にはほんとにがっかりした。
こうなりゃふて寝して気力体力回復してやる!