恥ずかしさと上手く付き合っていくには~恥と我のたたかい~
「恥ずかしい」この言葉が頭の中を支配する瞬間がある。
会議で手を挙げて発言するとき。
誰かの前で褒められたとき。
新しい何かにチャレンジするとき。
今まさにこうやって文章を書いて投稿することも少し恥ずかしさが入り混じっている。
恥の文化という言葉があるように小さいころから恥をかかないためにはどうしたらいいのかが身についている気がする。
恥をかかないように振舞うことはもちろん悪いことではない。
今話題の「逃げ恥」でも恥を悪い意味で使ってはいないと認識している(ドラマは見たことないので大きな声では言えないが、笑)。
じゃあ、恥をかかないようにするためにはどうすればいいのか、答えは簡単だ。
目立たないように、いつもマジョリティ側に回ればいい。
恥をかくということは失敗した瞬間や何か目立つときに感じるのだから、そうならないようにするのが一番確実だ。
恥をかきたくない私も恥をかかないための方法を実践してきた。
すると何が起きたのか。
私の場合、自分への不信感が募りだした。
選択の軸が恥をかかないことになるということは、嘘をついている感覚になるからである。
「本当はこう思っているのに」、「本当はやってみたいことなのに」なんてことが増えていくうちに自分の言動に自信が持てなくなっていったのだ。
そうこうしてたら「あー、これじゃダメだっ!」と思う瞬間が訪れた。
それから恥はかきたくはないが、恥をかいても耐えられるメンタルでいようという考えにシフトチェンジするようになった。
私は人前でしゃべるのが苦手だ(あまりそう見られないないらしい)。
でも私の考えを伝えたい、相手の話をもっと聞きたいという時には、私の中の”恥”と”我(が)”の二つがたたかいだす。
ここでの"我"というのは本心を伝えることだったり、間違ってるかも....けどチャレンジしてみよう!みたいなことである。
昔は、”恥”の圧勝だったが、今では”我”が7割方勝利をおさめている。
最近は””我”の勝率が高いので少し心配している(言わなくてもイイこと言ってないか私よ?)。
私の中の”恥”よ、もう少し頑張ってもいいんだよ。
結局、恥をかかないためだけの選択は私にとっては代償が大きかった。
逆に恥をかくことは自分の言動に反省すこきっかけにもなているので悪いことでもないのだ。
そして、恥をかかないように全てを押し殺していたころの自分より正直に生きてるなと感じる。
ソーシャルワーカーとして相談を受ける際も相手の中での”恥”と”我”のたたかいがあり、その中で目の前にいるという認識を忘れないようにしている。
相談するって勇気がいるから。
悩みが知られるのって恥ずかしいから。
ソーシャルワーカーとしての私も恥ずかしさとたたかってるし、恥とうまく付き合えているか悩んだりしている。