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『二人のソクラテス』第8話
星哉くんの家が本当に不動産会社をやっている事に驚きを隠せなかった。
星哉くんは照れもせず、普通に店の入口から案内したから何だか肩透かしを食らった気分。
縁遠い場所だと入った瞬間に思った。初めて不動産会社を訪れた気。
視線は定まらないし、学校とは違う不思議な空間。胸はざわつくし、何だか緊張した。
「いらっしゃい。いつも星哉がお世話になって」
奥から綺麗な女性が笑顔を向けてきた。一目見てこの人が星哉くんのお母さんだとわかった。
白のカーディガンを羽織った清楚で整った顔立ち。少なくとも高校の先生達より断然綺麗で可愛らしい。
「いっ、いえ。こちらこそお邪魔します」
緊張する。こんな綺麗な女性が私なんかに頭を下げる事ないのに。
「なんだ、星哉。こんな可愛いらしい女性を連れてきて。何か如何わしい事をするんじゃないんだろうな?」
「そんな事するかよ。馬鹿じゃないの?」
お母さんらしき女性の後ろから、今度はお父さんらしき男性が星哉くんと談笑している。
長身で恰幅の良い姿は理想の父親像に近かった。冗談を言って家族を笑わせて和やかな空気を作る。
仕事はきっちりして家族を支える大黒柱は父親の理想像だった。
「もう、いいよ。ほら、こっちきて」
そう言って星哉くんは私の腕を掴んで店内の奥に連れていくと階段を登った。
途中、私は星哉くんに腕を掴まれて引っ張られながらも二人に会釈は欠かさなかった。
二人に笑顔で見送られ二階の廊下突き当たりにある部屋を通されると、八帖程度の洋室だった。
勝手に妄想していた男の子の部屋にしては綺麗に整頓されていた。
先ず目に飛び込んできたのは壁一面を本棚が埋め尽くされている本の数々だった。
「素敵なご両親だね。羨ましいな」
「どこが素敵だよ。今度、息子を置いて二人で世界旅行に行っちゃう両親だよ?」
自然に口から出た言葉だったけど、星哉くんにとってはそうではないらしい。
今の所、星哉くんの全てが純粋に羨ましい。
星哉くんは大量の書籍を紹介してくれると思ったのに、テレビゲームをやろうと言い出した。
私はゲームは一切やらないから全くわからないと言うと、これなら出来るだろうと勧めてきたのはレースゲームだった。
いろんなキャラクターを使って車に乗ったキャラクターを操作して行うゲーム。
見様見真似でやっていると扉のノック音が聞こえた。
「あら、楽しそうね」
星哉くんのお母さんがお盆にお菓子とジュースを持ってきてくれた。
ゲームを中断して私は馴染みのないケーキやスナック菓子に舌鼓を打つ。
どれも新鮮でどれも美味しかった。
「じゃあ、ゆっくり遊んでいってね」
お母さんが部屋を出た途端、星哉くんはゲーム画面を消した。
私が不思議そうな顔を向けると「ほら、変に親が誤解するだろう? 普段話している事を話しているとさ」と愚痴っぽく話した。
「……あぁ、なるほどね」
コンソメ味のポテチ片手に答えたけど、この書籍の数を見たらあまり意味を成さないんじゃないのかなって思った。
既にご両親は星哉くんの死生観や哲学に興味を持っている事はきっと気付いている。
それでも星哉くんなりの気遣いなのだろう。
同じ考えを持つ同級生を家に呼んで、そんな話をしていると思われたくなかったのかも知れない。
そこから星哉くんは立ち上がり、本棚から定番のソクラテス、ニーチェ。フランスのジャンケレヴィッチまで様々な哲学書を勧めてきた。
私が手に取って読んでいると星哉くんの解説が付いてくる。
「ジャンケレヴィッチは死の分類を一人称、二人称、三人称と分けたんだ」
「……どういう事?」と私が尋ねると星哉くんは嬉しそうだった。
「一人称の死は自分。二人称の死は自分、若しくは近親者の死。三人称は赤の他人の死。そうする事で死が与える影響を分類した訳なんだよな」と得意気に胸を張る星哉くん。
そこから星哉くん自身の死に関する考え方を説いた。生きていく上で言葉には出さずとも変化を求めるもの。
良い事も悪い事も全てを受け止めなければいけない。
だから何故、生きているのか。何故、この世に生まれてきたのか。答えを知らなければならないと。
「……確かに星哉くんの言う通りだと思う。でもそれは、早くに見つけた方が絶対得だよね? だって大人になってもそれが見つかっていなかったら、きっと死んじゃうよ」
「だけど、それを見つけられるのは、育った環境が大きく影響すると思うんだ。貧乏な家庭環境と裕福な家庭環境で育った子供とでは、価値観が違う。そういった人生に価値を見つけるのは、価値観の形成で違うわけだ」
正論だと思う。私が今からプロゴルファーを目指すから支援してくれと祖父母に頼んだって無理がある。
私が今から医者を目指すから大学の学費を援助してくれと頼むのは現実的じゃない。
仮に奨学金で通えたって返済もあるし、勉学が追い付かないだろう。
「でも生きていく上で目標や希望、楽しみを持たないと生きていけないよ」
「そう。僕等のような先行き見えない将来に不安を抱えて息苦しさを感じていたり、どうして生まれてきたのか、何故生きているのか。答えが見つからないのなら、誰もが最後は辿り着く場所に先回りして、答えを確認しなければいけない」
そう話した後、星哉くんはベッドの隙間から木箱を取り出した。
ゆっくりと星哉くんが箱を開けると、ナイフらしきものが入っていた。
「……一緒に死なないか?」
星哉くんはナイフを手に取ると、刃先をゆっくり自分の首元に当てた。
手元は小刻みに震えていて少しのきっかけがあれば本当にやりかねない雰囲気。
「ちょ、ちょっと待って星哉くん? 落ち着いて」
「お前だって本当は死にたいんだろう? 死にたいから毎日本読んでたんだろう?」
そう、星哉くんと出会う前の私は、どうして生きていたのだろう。
友人もいないし、両親や親戚にも見限られ、夢や希望もない私が何故、生きなければいけないと世を憂いていた。
それは今でも変わらない。
でも星哉くんと出会ってから話して行くうちに最近、死に対して疑問を持つようにあった。
善悪で考えれば死は悪なのだろう。それだけは、はっきりしている。理由はわからない。
星哉くんを反面教師として、少し距離を置いて考えると見えてくるものがあった。
「さっきのジャンケレヴィッチの分類、おかしいと思わない?」
一人称の死は自分自身に。二人称の死は親近者や親しい人の死。それぞれが影響を与える範囲だと唱えられている。
「もし二人称の死が起きた場合、その親しい人達の現在、未来、或いは過去にだって影響すると思うの。愛する人の死は共に生きていく現在を失う。子供を失った親は人生の希望を失う。親が亡くなった子供は過去を失う。一人称の死と二人称の死は重なり合う所があると思うの」
やっぱり死は全てをリセットすることになる。誰かが悲しんで、そこには何も残らない。
綺麗事になるけれど、綺麗事を言ったって、思ったって良いじゃないって思える。
星哉くんが死ねば、あの素敵な両親が悲しむ事になる。悲しませちゃいけない。
「……何が言いたいんだ?」
星哉くんの鋭い視線が突き刺さる。星哉くんはどこまで本気なのだろう。
このまま自分の意見を話せば、せっかく出来た星哉くんとの関係が終わるのかもしれない。
「だっ、だから簡単に私達は死んじゃいけないと思う」
「例えその先に明るい未来が待っていなかったとしてもか?」
「えっ?」
「他人に騙され、裏切られ、誹謗中傷を受ける日々。平気で人を罵り、陰口、小言の連続。自己中心的な行動に何も関係のない自分が巻き込まれて被害を受ける。そんな世の中に希望や夢を持って、明るい未来が待っていると本当に思うのか?」
私は平凡な生活さえ出来ればいい。それが私の夢であり目標。
その先の人生で愛する人と一緒に生きていければいい。互いに助けてあって助けてあげたい。
ただそれだけの事。その相手が初めてここまで自分を曝け出す事が出来た、星哉くんなのであれば尚良しと思っている。
星哉くんはじっと私の目を見ている。その目はどこか私の真意を探っているような目だった。
何かを見極めている、そんな目。その目に私は大きく頷いた。
「そっか、それなら良いんだ」
呟いた後、星哉くんは握っていたナイフを下ろして柔和な笑顔を見せた。
私があっけに取られていると「試したみたいで悪かったよ」とナイフの刃先を人差し指で押し当てた。
私が叫ぶ前に刃先は柄の中に収まった。
「これ、おもちゃだから。昔、親父に買ってもらったやつ」と悪びれた様子も見せず、まるで私を揶揄ったように笑みをこぼしている。
「……あのね私、本当に心配したんだけど」
星哉くんは面白そうに笑っているけれど、私は全然面白くない。死の瀬戸際を目の当たりにして心配しない訳がない。
「悪かったよ。だけどな、由夏を想っての事だったんだけどな」
「えっ?」
照れ臭そうに頭を掻きながら星哉くんは話した。私が死に対してあまりにも過度な興味を持っている事。
それを嬉しそうに星哉くんに私が話している事。
星哉くんはそんな私の事を心配して、本当に何かのきっかけで私が死んでしまうと思い、試したようだった。
「考え過ぎだよ、だって私はーーー」
咄嗟に口をつぐんだ。星哉くんの死に対する話を聞いて、考えを改め始めたと話せる訳がない。
それは星哉くんに対する裏切りなような気がしたから。まだまだ私達は未熟過ぎる。
「……どうかしたか?」
不思議そうに顔を覗き込んでくる星哉くんに首を振って「ううん、何でもない」と応える。
星哉くんは少し納得していない様子を見せたけど続けて「それじゃあ、またゲームしよう」とテレビの電源を入れた。
その後は外の日が暗くなり始めた夕方頃までゲームをしていた。
普段からゲームをする習慣のない私にとってとても刺激的な時間だった。はっきり言って楽しかった。
パーティゲームのような簡単なものから、ホラーゲームまで星哉くんと一緒に遊んだ。
こんなゲーム機を買ってくれる両親だったら、私の生活に少しは潤ったんじゃないかと悲観的な事を考えたり、友人を作っていればもう少し学校生活が楽しかったんだろうなと憂いだ。
「……そっか。もうこんな時間か。ってお前の家、大丈夫か?」
星哉くんが心配しているのは恐らく祖父母の事だろう。最近は以前より全く私に関心を示さなくなった。
いてもいなくても二人には関係のない程の存在。まるで空気のような存在に近いかもしれない。
だから私に干渉する事は皆無と言っていい。
そんな話をしていると扉のノック音がした。扉が開くと姿を見せたのは星哉くんのお母さんだった。
「良かったら、夕飯食べて行かない?」
願ってもいないチャンスだった。正直、空腹は昨夜から続いていた。昨夜は祖父母の残り飯にありつけなかった。
さっき運ばれてきた菓子類だけでは腹は満たされない。
「いっ、いいんですか?」
期待を胸に抱き、願望を目に宿して星哉くんのお母さんを見つめていると「勿論よ。あっ、ご家族にはご連絡した方がーーー」と話す言葉を手で遮って「大丈夫です。連絡はしますから」と嘘も方便をお見舞い。
隣に座る星哉くんが笑いを堪えているのを尻目に捉えたが、私としては必死だったから笑い事ではない。大袈裟に言えば死活問題だから。
階下に降りてリビングダイニングに星哉くんが案内してくれた。
既に椅子に座ってビールを飲んでいるお父さんに会釈をすると、えらいご機嫌だった。
食事にありつけるとはいえ、何だか居場所がなく、申し訳ない気持ちが追いかけてきた。
配膳された料理に舌鼓を打った。鳥の唐揚げ、野菜炒め。ポテトサラダにデザートは今が旬だと話していた葡萄と近くの農場で買ったバニラアイスは濃厚で美味しかった。こんな暖かい食事は記憶になかった。
これが私の人生にあったなら。
こんな家族団欒な時間があったなら。
恙無い日々を過ごして平和な時間を家族と共有出来たなら。
深い愛情を両親から注がれ、子供を第一に尊重する二人は、かつて私が思い描いた両親と酷似している。
それなのにどうして星哉くんはあんな考えを持っているのだろう。こんな幸せな家庭環境で悩みなんてあるのだろうか。
私の環境とは段違いの暖かさがここにある。些細な悩みはあるのかも知れないけれど、死について深く考える程のことなのだろうか。
食事を終えるとお暇させて頂いた。星哉くんのご両親に深く頭を下げて感謝を述べると、お母さんが星哉くんに夜遅いから送ってあげなさいと言って星哉くんが帰りに送ってくれた。
見上げれば黒い帷の中に煌めく星々が点在している。乾いた靴音が響きながら、商店街通りを星哉くんと歩く。
閑散とした商店街の店々は既にシャッターが閉ざされていた。
行き交う人々も疎らで、星哉くんの家を出てから会話をしていなかった。
互いに口火を切るのを探っている気がする。少なくとも、私は探っていた。
だって変に星哉くんの表情が暗かったから。
「僕達には、この先生きていたって明るい未来はやってこない」
「……えっ?」あまりにも唐突だった。
「身の丈に合った生活を、希望も夢も持たず、ただ惰眠を貪って死を迎えるか。或いは彼等が辿り着くゴールに先回りして死に向かい、来世に期待するしかない。それでも生きていく覚悟はあるのか?」
星哉くんはニーチェの永劫回帰に似たような事を言う。
ここにはおもちゃのナイフもない。さっきのような悪ふざけな問いとは、違う空気が流れている。
この問いの答えを言うならば、目標や希望を持って日々生活をする事が人生なんじゃないのか。それはみんな人間はそうだ。
私の環境は決して良くないけれど、まだゴールを諦めていない。やっぱり星哉くんの考えを肯定出来ない自分が胸の奥にいる。
「だったら私が証明するよ。私が幸せだと思える生活になったら星哉くんに見せつけるんだから」
本当は星哉くんと一緒になれたらって思っていた。それなのに口が勝手に先走り、思っていない言葉が先行した。
話し終えた瞬間、直ぐに後悔が全身を襲った。変な見栄と意地がそうさせたのかもしれない。
あんな素敵な家族と過ごしているのに、どうしてそんな考えを持っているのだろう。私には羨ましくて仕方がない。
だから、星哉くんの事を否定も肯定もしない。
星哉くんは驚いた様子で私の顔を見下ろした。私はそんなに変な事を言ったのだろうか。
そうなのかもしれない。以前の私からすれば、そんな正義じみた大層な理想論を言わなかった。
この世に理想を抱く思考すらなかったのだから。
国道の大通りの交差点まで辿り着くと互いに足を止めた。この先を曲がれば私の家。
「ありがとう。またね」
何だか重苦しく気不味い空気が星哉くんとの間に流れている気がした。私がやっぱり変な事を言ったからなのか。
星哉くんには配慮したつもり。ほんの冗談のような発言だった。
それなのに、どうして星哉くんは悲しそうな顔をしているのだろう。
「あっ、あのさ星哉くーーー」
星哉くんは私に何も言わず、踵を返して去っていった。
街灯に照らされた星哉くんの苦虫を噛み潰したような表情を初めて見た。
あまりにも衝撃的で私は星哉くんの背中を追う事も言葉をかける事も出来なく、ただ背中を見つめて立ち尽くす事しか出来なかった。
翌日から高校生活に変化が起きた。どこから嗅ぎつけたのか私と星哉くんが一緒にいる所を見て付き合っているだの、噂が広まっていた。
直接私に嫌味を言いながら尋ねてくる女子も入れば、廊下ですれ違い様に小言を聞こえるようにわざと言ってくるやつもいた。
面白がっているのだろう。私みたいな奇異な存在が一丁前に恋愛をしている事が。
星哉くんはどう思っているのか気になり、教室に覗きに行ったけれどすれ違いなのか、星哉くんとは高校で会えなかった。
だから授業が終わると河川敷に向かって星哉くんが来るのを待ったが徒労に終わった。
痺れを切らして自宅に向かったけれど、店の事務員さんらしき女性は星哉くんの事を良く知らないようではっきりとした答えを聞く事は出来なかった。
ある日を境に星哉くんが学校に来なくなった。私を襲ったのは後悔の連続。
再び起きる周囲からの私に対する執拗で陰湿ないじめは、以前と比べ物にならないものだった。
やがて以前、星哉くんが言っていた言葉が脳裏を過った。
『明るい未来はやってこない』
星哉くんが罪を背負う事はない。罪と罰を背負うのは私なんだから。