プロフィール写真顛末記
七月三十一日に発売された新刊『赤パンラプソディ』の特設サイトを開いて、私は絶句した。
「……???」
皆さま、ぜひこのサイトをご覧になって下さい。https://dps.shogakukan.co.jp/akapann
著者のプロフィール写真が、猫って……。なんでこんなことに? 理由は全くわからない。もしかしたら担当さんが「本人の写真載せても全く集客力ないけど、器量の良い猫ならワンチャンあるかも」と思って、そのワンチャンに賭けたのかもしれない。
このサイトを見た人が「あら、桐衣朝子って可愛いじゃん」と思って、新刊に注目してくださるなら願ったり叶ったりではある。
とにかく、こうなったいきさつを上の娘に訊かねばと、娘達の仕事場に向かった。私の仕事に関して、文章を書く以外のことはほとんどすべて彼女がやってくれているのだ。
そこで聞いた経緯は、こんな感じだった。
担当さん「新刊の特設サイトに著者のプロフィール写真が必要なんですけど、最近の写真送っていただけますか?」
娘「わかりました〜」
娘はすぐに、防災センターでの取材の時に撮った写真を送った。
担当さん「いかにもスマホで撮りましたという感じですね」
娘「そうですね。スマホで撮ってるんで」
担当さん「もう間に合わないんで、桃ちゃんの写真でいいですか?」
娘「それ、いいですね〜。桃にしましょう」
電話を切るなり、娘は膨大にある桃太郎の写真をチェックし始めた。私の写真は、何も考えずフォトギャラリーに入っているものから一番新しいのを送ったのに、桃太郎の写真は時間をかけて念入りに選んだ。えこひいきも甚(はなは)だしい。
特設サイトのプロフィール写真が桃太郎だったのは、これはこれでよかったのだが、この先真面目な仕事のオファーが来た場合(今のところ来る気配はないが)、これじゃあまずいと娘は危機感を覚えたようだ。
「お母さん、ちゃんとした写真、プロのカメラマンに撮ってもらおう」
ごねる私を完全無視して、大手写真スタジオに予約を入れてしまった。
私は元々写真が苦手なのだが、年をとるにつれてどんどん嫌になってきた。
「あらいやだ、ここにもシワが。まあ、このほうれい線のくっきりしてること」などと、不快になることばかりなのである。
そもそも面白いことを言われたわけでもないのにニッコリ笑うなんて、こんな難しいことがあろうか。いつも顔がこわばって引きつってしまう。
小学館の授賞式の時も、なかなか笑顔になれず、とうとうカメラマンさんに「笑って下さい!」とちょっとキレ気味に言われてしまった。
全カメラマンさんにお願いしたい。私みたいな写真苦手人間のために、何かちょっとしたネタを仕込んでおいていただけないだろうか。
「はい、目線こっちにください。猫が寝転んだ〜!顎、引いて〜。海老の血液型はAB型〜!」
そして笑った瞬間に、パシャッ。
そんな叶わぬ願いを胸に、娘に引きずられて天神の写真スタジオへ。若い誠実そうなカメラマンさんで、まずは安心した。
広い部屋の壁には大きな白いスクリーンが吊るしてあり、ライトや大きな傘みたいなもの、レフ板らしい物などが置いてある。
カーテンで囲われた場所で、持参したお気に入りのCELFORDのワンピースに着替えた。どうせ上半身しか映らないので、猫柄の靴下と年季の入った小汚いスニーカーはそのままだ。撮影が終わったらデパ地下や地下街を走り回って美味しいものをかき集めるという最高に楽しいイベントが待っている。ヒールなんか履いていられない。
まずはカメラマンさんからポーズの指導を受ける。しかし、左足を少し斜めにして、右足のかかとを左足の内側につける。たったこれだけのことができない。一瞬できるのだが、いつの間にか足が離れてしまう。
「背筋を伸ばして下さい。顎を引いて。お腹を引っ込めて」
カメラマンさんの後ろに立った娘が「お母さん、姿勢悪い!」と何度も繰り返すが、足元に気を取られて、いつの間にか猫背になっている。
「試しに何枚か撮ってみましょう」
カメラマンさんが低い脚立に乗って、バシャバシャとシャッターを切る。後ろで何やら娘が両手を開いたり閉じたりしているが、目を大きく開けろという意味なのだろうか。
試し撮りが終わり、カメラマンさんが「では、撮りますね」とカメラを構えた。
「笑って下さい」
出た! 恐怖の言葉に「おもろいことも言われてないのに、笑えるか!」と心の中で叫びながら、必死で笑顔を作るのだが、当然うまくいかない。
何十回もシャッターを切る音が聞こえてきて、カメラマンさんが困っているのが手に取るようにわかる。
娘に向かって「なんかおもろいこと言って!」と声をかけたが、娘は「ムリムリムリ!」と手を振って何一つ面白いことを言わない。全く使えない奴だ。
「おもろいこと、おもろいこと。最近爆笑したことって何かなかったっけ?」
記憶の箱の中を探るけれど、何も出てこない。どうしたらいいのだと焦ったその時、不意に頭に浮かんだのは愛猫、桃太郎の世にもブチャイクな寝顔だった。
ニヤリ。思わず微笑んだ瞬間、パシャっとカメラの音がした。
「あ、いいですねえ」
カメラマンさんのホッとした声が飛んできた。結局、桃太郎のブサ顔のおかげで、にっこり笑った写真が撮れたのである。めでたしめでたし。
しかし、これで終わりではなかった。パソコンの前に、私を真ん中に三人並んで座り、一枚ずつチェックしていく。膨大な数の写真の中から一枚を選ぶのである。
娘がものすごい速さで容赦なく写真を選別していく。
「なし、なし、なし、なし、なし、あり、なし、なし、なし、なし」
ほとんどが「なし」で、何となく自分をけなされているような気がしてきて、小さくむかついた。
娘の「目を大きく開けて」のジェスチャーに従った時のものと思われる写真は、露出狂の変態に出くわしたかのような顔で、私と娘は同時に「なし!」と叫んだ。
最終的にポーズや表情の違う三枚を残したのだが、娘は渋谷ハチ公前の大型ビジョンに映す写真でも選ぶのかというくらい真剣に悩み始めた。
私の写真なのに、私の意見は全く聞き入れられそうにない。
「こっちの方が綺麗だけど、知的に見えるのはこっち。親しみが持てるのはこっちかなあ……」
カメラマンさんに意見を求めたが、彼は娘の意見に迎合して「綺麗ですね〜。知的ですね〜」などと、電車で隣に座った人の孫の写真を見せられたなみに心がこもっていない感想しか言わないのでますます迷う。
娘はテキパキしているようで、実は優柔不断なのである。レストランでメニューを決めるのでさえ、迷った末に妹に決めてもらったりしている。
残念なことに、今回はこの強力な助っ人がいない。来たがっていたのだが、仕事が終わらなくて無理だったのだ。
母娘して頭を抱えていると、下の娘からLINEが入った。
「ご報告 わたくしごとではございますが、本日のお仕事は『一緒に天神行けばよかったやないかい』というほどに進みませんでした。しかも、反省していません。これからも温かく見守っていただけると幸いです」
こんなことなら三人で来ればよかった……。
散々迷った末になんとか一枚を決めたのだが、これで終わりでもない。背景の色を選んだり、顔や髪に修正を加えたりするのだ。
修正してもらえると聞いて、私は喜んだ。
「わ〜い!シワ消して〜!ほうれい線消して〜」
ウキウキしながら言うと、間髪を入れずに娘が「ダメ!」と一刀両断した。
「そんなことしたら別人やん!」
そしてカメラマンさんに向かって「手の甲の血管を薄くして、肌を少しだけ補正して、髪がピンと跳ねてるのを消すくらいでいいです」ときっぱり言い放った。
その情け容赦ない無慈悲な言葉に、私は心底がっかりした。なんと冷酷な娘であろうか。
かわいそうに、カメラマンさんは板挟みになって、明らかに動揺している。
こんなことなら一人で来て、「別人やないかい!」と突っ込まれるくらい修正してもらえばよかった……。
しかし、さすがにプロのカメラマンさんが撮った写真は違う。光の入り方や自然な笑顔、ポーズの指導で全く印象が変わるのだ。
出来上がった写真はこちらである。
とても気に入ったので、万が一の時にはぜひ遺影に使って欲しいものである。
ポーズを決めた私の全身写真を下の娘にLINEで送ると、すぐに返信が来た。
「靴!」
は? 注目したのは猫柄の靴下の上に履いた薄汚れた靴? 言いたいことはそれだけか?