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孤独と向き合うこと
寂しい。ずっと、さみしい。
人と話すと、悲しさや寂しさが薄れる。ほっとすると、書かなくてもいいやとなる。書きたいと思う感情は、悲しいものばかり。
突き動かされて、どうしようもなくて、思うように心も体も動いてくれないことが苦しくて。なにより、「思うように」が刷り込みであることを自覚してしまったこの1年くらいで、解放すべき自分が沢山あることと、そのために闘わなくてはならないことを再認識させられる。
寂しさが埋まらなくて、SNSで呼びかけたら、何人か信頼出来る人達が話そうかとDMをくれた。来て欲しかったと脳裏にいた人もいれば、もう疎遠になったかと思っていた意外な人もいて、ちゃんと繋がっている人がいるのだと目の奥がじんわりと熱くなる。
根源的に認められたい。そのままの自分の話を、最後まで聞いて欲しい。ただそれだけ。
それが、1番親しくて、認めて欲しい人からはいつも貰えなくて。いつも、それに飢えているのではないかと思う。努力しても、自分の努力ではなく、大して評価の為だけにやっているような実績だけが評価される。そのくせ、完璧主義で、程よく瞬発力があるから、彼らが求める実績を出してしまう。都合よく解釈されたくないけど、それを一度も落としたことがない身に取っては、それを除くと、もう相手からどう見られるのか何も想像がつかないのだ。
苦しい。
今誰かに電話して吐き出してしまえば、暫くは平気になる。けど、根本は変わらない。根気強くずっと同じ話題に付き合ってくれる、お互いの傷をセラピーしあうようなパートナー日巡り会えたことは、本当に幸福である。時差があろうと、恐らく泣きながら電話をすれば、話を聞いてくれる、気心のしれた友人もいることも、また同等の幸福である。
しかし、究極的には、自分で解決しなければいけない問題だと、今は思っている。最終結果としては、新たな家庭や集団に入ることで、徐々に寂しさを受け入れていって、穏やかになるのかもしれないが、私にはまだ早い。苦渋を絞り出し、書き出し、推敲する、この深夜の誰にも奪われない、私だけの時間だけが、目の腫れを抑えてくれる。孤独の中でじっとりと考えることこそが、虚無と向き合う上策に思えるからだ。
毒を持って毒を制す。孤独があるからこそ、良い文章が生まれるとも言えよう。年代物の蠱毒でも、ゆっくり醸造すれば、そのうち天使が飲み干してくれる。
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