見出し画像

マンチェスター大学留学記 将来について

I'm writing this to show my respect to Shruthi Kumar's graduation speech.

良いスピーチをみて、私もなにか残したいと思ったので、急遽筆を走らせています。みなさんも是非、人生の中の10分を取ってご覧ください。

見終わった上で、まだ私のnoteに興味を示してくださったのなら、この先にどうぞ。ありがとう。


最近の思考①:なぜ書くのか。

なぜnoteに書くのか。だれに向けて書くのか。何のために書くのか。なぜ日本語で書くのか。私が書く意味はあるのか。最近考えていたことを少し。

生成AIの時代になり、そこらの人間より、AIの方が利口な文章を書くようになった。創作者に取って、自分の時間をかけたものの価値が脅かされることは、とても怖いことだ。タイパ重視といわれるこの状況で、自分の言葉で一文字ずつ言葉を綴る人はここ数年で随分減ったように思う。偶に日記を書いているというだけでも、驚かれるほどだ。

私なりに悩んだ結果、いくつか書く理由があると思った。
一つ、瞑想のような効果をもたらしてくれること。常に何かに追われて、時間の存在を意識して、イライラしてしまうことが多い中、暗い部屋でデスクライトを一つだけ灯し、noteの真っ白な編集ページを開くこの瞬間がスキだ。心が洗われる。誰にも束縛されない、私だけの自由な時間。
二つ、知らない人に届くこと。私の顔も見えず、経歴も知らず、ただ偶発的にアルゴリズムの海に流れてきた私の文章を、真っ正面から見てくれる。それが嬉しい。案外、何も知らない人と、初っぱなから深い会話をするというのは現実世界では難しい。いつかそういうバーを作りたいなと思ってる。自己紹介も何も挟まない、ただ今の思想を歌うように表現できる場。今は、ここがそうである。
三つ、誰かへの恩返し。どこかで見た受け売りなのだけど、なにか心に響く優しいことをされたときは、当人ではなく次の人に優しくすると輪が続くらしい。これはいい考えだと思った。それに、優しさというのは、もらってから出せるまで、往々にして時間差があるものである。私も、前に人を慰めているとき、ふとそれが小さい頃母親に慰めてもらった方法とあまりに近似していたので驚いたが、人はもらったものにアレンジを加えて生きていくのである。ならば、素敵だと思うことを人に渡すのも、まだ顔も知らないを助けることになるやもしれぬ。
四つ、少し突飛かも知れないけど、AIの学習を逆手に取ってみようという試み。今のAIがネットの海からネットワークの中で影響力を持つものから学習を進めるのならば、私の文章だって、多くの人に読んでもらえれば、少しでも学習に組み込まれるかもしれない。多くは知られていないが、今のAIの基礎を作ったのは西洋であり、倫理規範から文体まで、まだまだEurocentricな部分も多く、違和感を覚えることが多い。AIをより多くの民衆にとってよいものにしたいのであれば、多様な観点を口承ではなく、敢えてネットの海に残しておくこと自体に価値があると、今は信じている。

雑記①視野を広げるということ

先日、父親の仕事の手伝いで3日間ドバイに行った。商談を通じて、アラブの方々と初めて話し、観光で寺院や市場に足を運んだ。
それ以来、中東情勢に興味を持つようになった。なんだか分からないが、今まで目が滑っていた文章も落ち着いて読めるし、周辺諸国の地図もすっと覚えられる。
断言するが、決して私のワーキングメモリが1日にして改善したわけでも、急に記憶力が良くなったわけでもない。それなのにこれはすごい変化だ。日本のニュースで子供の体験格差についてよく論じられていたが、確かにこりゃすごいなと思った。その場の空気に触れる、というただそれだけのことが、なぜここまで重要なのか。
私のイメージでは、経験というのはバケツのようなものだ。知識は雨粒のように、ランダムに、一回にざっと降ってくる。バケツを置いておくと、雨が上がる頃には、溜まっている。バケツがなければ、ただ流れていく。服だって傘だって濡れたはずなのに、いつの間に乾いてしまう。必要なのは、より多くのバケツをそこらに置いておいて、同じ降水量でも受け取れる量を増やすこと。新しい知識を吸収して解析できる土台こそが、「経験」なのだ。

最近の思考② どこで働こうか。

イギリスにいようか、日本に帰ろうか、まだまだ迷っている。
正直言うと、「留学行った後は、何年間かはそのまま残るつもりだよ~」なんてかっこよく言って出てきちゃったものだから、なんだか新卒で日本に帰りたくないかもみたいな意地がある。
一方で、私の体は想像以上に日本を求めていて、美味くて安い寿司と、熱々の湯船がない日々は、案外思うより辛い。日の短さも耐えられないほどではないが、自分が何を求めているのか考えたとき、根本的に楽に暮らせるのは日本かもなとは思ったりする。
一方で、こちらの公共サービスの質はあんまり良くなくて、とか、言い出したらキリがないのだが、常々イギリスでビジネス始めたら、多分日本式に時間を守って仕事するだけで、大盛況になる自信がある。こやつら時間にルーズすぎる。(友達のマンションで真冬に熱水機が故障して、一ヶ月ジムのシャワーで凌いだ話を聞いてふるふるしている。水道の修理に一ヶ月かかる国、恐ろしい。)

雑記②就活を楽観視しすぎる私

どこかしらはいれてくれるだろう。というのが、端的な結論である。卒業を半年後に控えている若者とは思えない楽観さである。
自分で言うのも何だが、私の話を楽しんで聞いてくれる人は行く先々で少なからず居る。相談相手として選んでくれる人もいるし、器量が大きい方だとも言われる。言語の習得も早い。友達からは、「人を後ろから動かす力がある」と言われる。いつか会社を立ち上げそうと言われるが、社会人には向いてないということだろうか。
頑固だし、自分の倫理に反することに対する気持ち悪さを露わにしてしまうタイプだし、信念に沿って闘いがちな所は会社としては使いにくいだろうが、少なくとも、最近の不確実な世の中で、一緒に働いてほしいタイプではないかと自分では思う。思い上がりすぎだろうか。
正直、留学の時も早めに準備しなさいと散々脅され(この辺は別のとこでまた詳しく書きたい)、そんなんじゃいいとこなんか受からないと言われ、併願やらなんやら言われたことをほとんど全て無視して、書いたCVを二校に出して、そのまま受かって、ここに来た訳だが、受かって渡英した途端、批判は止んだ。そんなもんである。王道は、所詮王道。正解ではない。どうにかなるならば、自分にはそれが一番よいのではないか。王道に固執しすぎる大人には、彼らなりの苦い経験があるのだろうが、受け手の感情を害するほどの過度な押しつけは自他境界線を無視した理不尽以外の何物でもないので、気にしない方が楽だなと、最近になってようやく割り切ることが出来た。今は、悩んで相談に来てくれる友達にも、王道なアドバイスは私からは求めていないだろう(というかその辺調べ終わった上できているだろうと仮定して)自分の意見を言えるようになった。互いに気が楽である。

終わりに

留学記というより、イギリスで三ヶ月過ごした大学院生が書いた雑記となってしまったが、いかがだったでしょうか。こういう今強く思っていることも、1年経ったらきれいさっぱり忘れてしまうので怖いものですね。現に最近、漫画を読んでて、自分の高校生の頃はどう思ってたか思い出そうとするのだが、これがなぜかなかなか思い出せなくなってきてる。当時自分がどう漫画を読んで、誰になぜ共感したかも、何も思い出せない。これが老いか???
自分の感情って、他の人の人生の中でも、形とタイミングを変えてどこかで現れる気がしていて、そういう時、さっと共感するエピソードを出せるように、少なくとも今何回も書きたいと頭に浮かんだものたちには、ここにスペースを与えようと思っています。
次は、冬休み編と期末試験についても書こうかな。

最後まで読んでくれてありがとうございます。スキやフォロー、コメントもお待ちしています。ではまた。

いいなと思ったら応援しよう!

るい
よろしければ応援お願いします! いただいたチップは恐らく私がnoteを買うのに使われるか、疲れた脳に流し込む糖分(タピオカ)となるでしょう。