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キルギスからの便り38 アルスタンバプのくるみの森

 広大なくるみの森―そう聞いてどんな風景を思い浮かべるだろうか。
 それはキルギス南部の村、アルスタンバプにある。ぶなや白樺の森しか見たことがない私には、現地へ行くまで、まったく想像ができない森だった。
 
 日本のゴールデンウィークと重なる5月1日~5日はキルギスでも連休だ。今春の短いキルギス滞在中、この休みを利用して同国第2の都市オシと第3の都市ジャララバードを訪れることにした。同僚であるキルギス人の日本語の先生にそのことを話すと、「ジャララバードの近くのアルスタンバプへも行ってみては」と勧められた。初めて聞く地名だ。くるみの森が広がるきれいな場所らしい。
 バザールのナッツ売り場には国産のくるみがたくさん並んでいるし、赴任1年目にホームステイ先の庭でくるみ拾いをした経験もあったので、この国でくるみがよく育つことは分かる。ではその木々がつくる森とは、どんなものなのか。興味が湧いたが、教えてくれたその先生自身もアルスタンバプへ行ったことはなく、詳しくは知らないという。
 とりあえずオシとジャララバードへ行ってから、同地の様子を探ってみることにした。

 最初に訪れたオシで何人かに聞いたところでは「アルスタンバプは美しい所だけど4月、5月は雨が多く、舗装していない道は足元が悪くて観光には適さない。6月に訪れるのがベストだ」という。けれど私は5月下旬にキルギスを離れなければいけならず、6月まで待つという選択肢はない。その後ジャララバードのホテルで受付の従業員に尋ねてみると、「大丈夫。現在そんなに雨が降っている訳でもない。簡単に行けるよ」と笑顔で右手の人差し指を立て、マルシュルートカ(乗り合いバス)での行き方を教えてくれた。その返事に背中を押され、急きょ1泊の宿をとり、訪れることを決めた。

 翌日、ジャララバードの中央バス乗り場から30分程でバザールコルゴンという場所まで行き、そこでアルスタンバプ行きに乗り換えた。マルシュルートカは乗客が集まってから出発するので到着時間が読めないし、道中で新たな乗客が次々と乗りこんでぎゅうぎゅう詰めになることもある。そんな移動が、果たしてホテル従業員が言った「簡単に行ける」道のりかは疑問だが、過去2年のキルギス生活で、マルシュルートカにも慣れた身には苦ではなかった。

バザールコルゴンでアルスタンバプ行きのマルシュルートカに乗りかえ

 いくつもの集落を通り越し、川沿いにぐんぐんのぼって山へ分け入り、バザールコルゴンから1時間40分程で標高1600メートル程のその村に到着した。中心部には小さなバザールや店があり、古い自動車やトラックが砂ぼこりを巻き上げて走っていて、一見するとキルギスの他の町や村と大差はない。
 しかし人々の容貌が違う。村民の大部分はウズベク人でキルギス人は一握りしかいないらしいのだ。そして女性はスカーフを巻いて露出の少ない服装をしている。キルギスはイスラム教の国ではあるが、比較的規律は緩やかで、スカーフをせず自由な服を着ている女性が多いのだが、この村の人々は敬虔な教徒なのだろう。
 少々迷いながら歩いて宿にたどり着いた時は午後2時過ぎ。お茶を飲んで一息つき、くるみの森について宿主に尋ねてみると、くるみは村の至る所に生えていて、規模を問わなければ宿の周りでもどこにでも森はあるという。ただ、人々が言う「広大なくるみの森」は村の中心から少し離れており、付近には滝もあって、詳しいことは案内所で聞いたらいいと教えてくれた。

 ダウンベストをはおって案内所へ向かった。常駐のガイドは壁に貼られた手書きの地図を指しながら、滝を見て森をぐるっと一周するには3、4時間は必要と言う。
 日が沈む前に着こうと早速歩き出したのだが、間もなく雨が落ちてきた。宿を出るころから怪しい雲行きだったが、こんなに早く降り出すとは思っていなかった。案内所へ戻って2、30分雨宿りをした後、小雨になったところで気を取り直して再出発した。

当日はあいにくの空模様で山々にも雲がかかっていた

 雨宿りの分だけ、歩ける時間は減っている。滝はあきらめて、森だけを目的にした。少し焦りが出て、早足になった。どこまでも坂道が続き、息が切れそうだ。体がぽかぽかしてくる。ダウンベストなど暑くて着ていられなくなった。
 土壁の塀や納屋が並ぶ風景の中に、牛や馬が尻尾を振ってたたずむ姿が目に入ってくる。所々で子どもが集まって遊んでいる。自転車に乗っている子もいる。極東から来るアジア人はまだ珍しいのか、こちらに気付くとじっと見つめている。昔の子どもはこんな風だったかもしれない、と懐かしさをおぼえる表情だ。私が普段会っている児童、生徒や首都ビシュケクで見かける子どもたちとは違う風情だった。

 途中、正しい道を歩いているのか不安になったので、沿道の家から出てきた男性に尋ねてみたが、何も答えてくれず、首と手を振って反対を向いてしまった。しばらく行って子ども連れの若い女性に聞いてみたら、少し笑いながら、やはり首を振った。私が「くるみ、くるみ」と言うと、たぶん、このまま真っすぐという意味だろうか、今歩いている道の先を指さした。それ以上は話しても微笑するばかり。別の場所で聞いた女性も、同じような反応だった。
 どうやらロシア語が通じないらしい。これまでもキルギス国内で都市から離れた農村地域を訪れたことがあったが、皆ロシア語を解していたし、むしろキルギス語よりロシア語の方が流ちょうな人も多かったので、この村での反応に戸惑った。
 後に宿で聞いて分かったのだが、ウズベク人が大半を占めるこの村では、小中学校でロシア語を習わないという。宿主や案内所のガイドのほか村の中心部で会った人の中にロシア語を話す人はいたので、皆が皆ロシア語を知らない訳ではない。宿主はビシュケクの大学へ入ってからロシア語を学んだと言っていた。

 標高の高いこの村では、季節がひと月程遅れてやってくるようで、道中、ビシュケクやオシではすでに終わったりんごやさくらんぼの花が満開になっていてた。
 雨が再び降る心配と日暮れが近づく不安がふくらみ、汗をかくほど早足で登ってきた疲れが限界に達した頃、ようやく森の入り口とおぼしき所にたどり着いた。6時近くになっていた。

 案内板がある訳でもなく、薄暗くて最初は気付かなかったが、よく見ると足元にはクルミの殻が転がっている。その場所に間違いはない。
 雨でぬかるんだ土の道の両側に森が広がっているが、柵がめぐらされていて木々の生えている土地の中に足を踏み入れることはできない。くるみは大切な産物だし土地に所有者がいるなら致し方ないことだ。
 木々に触れながら自由に歩けると思っていたので少し残念だったが、柵沿いでも森の広大さは十分に感じられた。 
 新緑には早く、木々はほぼ裸のまま幹と枝だけの姿で立っている。森のずっと奥から2、3人位の子どもと大人の声が時々聞こえた。土地の所有者や家族が来ているのだろうか。それ以外には時々小鳥が鳴く以外に音はしない。 
 6月の夏至に向かって日がのびているので、この時間でも外は明るいのだが、森の中は木々に遮られて光が少ない。 
 
 ここへたどり着くまでに体力を使い果たしていた私は、森を少し見たらすぐに引き返すつもりだったのだが、その独特の静けさが、高原の澄んだ空気をより一層美しくしているようで、しばらく森に身を置いたまま動くことができなかった。何もせず、何も考えず、ただそこに立ち続けていた。 
 6月に来たら若葉の息吹きを感じられ、秋ならば収穫の賑わいがあって、もっとこの森の良さを感じられるだろう。オシで聞いた通り、今の時期は足元が悪くて訪れるのに適しているとは言えない。しかし、芽吹き直前の人けもない森は、無数のくるみの木と交信したような不思議な満足感を与えてくれた。 

 下り坂の帰り道、子どもたちは相変わらず道端で遊んでいた。先程は何も言わずに見つめるばかりだった彼らが「Hello」と声をかけてきた。 
 宿へたどり着いても、外はまだまだ明るかった。


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