2010,7,23気仙沼岩井崎
妹の旦那さんが運転する車で深夜に気仙沼の実家に着いた。妹、旦那さん、2歳の甥っ子、私と生後2か月の娘。
深夜とはいえ、東京から気仙沼の実家までは6、7時間かかった。疲れているのでとりあえず寝て、次の日父の病院に行くことにした。
病院に行くと、父は鼻からの酸素管をつけ、もう話すことは出来なかった。「お父さん!来たよ!」と私が話しかけ、うなっているような声を出していたので 私と娘が来たことが伝わったと信じた。もう私は泣くのを必死でこらえていた。お父さんがなんでこんな姿に?と信じられなかったし、なんで話せる時に知らせてくれなかったのかと責めたくもなった。
状況がわかっていないやんちゃな2歳の甥っ子に、赤ちゃんと一緒では病室に長居することも出来ず、私たちは退室した。
その帰りに、気仙沼の病院と実家の間にある岩井崎という海岸に行った。
「潮吹き岩」というのがあって、波が岩に当たるとプシューっとクジラの潮吹き水のように打ち上る。波の強さなどによってはかなり高く打ち上って綺麗で壮大な景色が見れる。
東京の学校でその話をしたら、先生も生徒のみんなも「下ネタか!!!!」と笑われて、びっくりしたっけ。本当気仙沼の大事な観光名所を笑ってくれるなよと必死に説明したのが懐かしい。(調度その頃、今村昌平監督の「赤い橋の下のぬるい水」をみんなで見た後だったのもあったからか)
そこには毎年初詣に参拝している琴平神社がある。そこで妹と必死にお祈りした。父を治してください!少しでも長く生かしてください!憔悴しきった母の心の整理がつくまででも!母が自力で寝れるようになりますように!
母は、東京で別れた時とは別人のように憔悴した顔をしていたし、にこにこいつもどうり笑っていた父はもう寝たきりになっていたのだ、もうぽろぽろぽろぽろ泣けた。病院で我慢してたぶん泣けた。でも明るく元気な甥っ子とよく笑うようになった娘が可愛くて、空気を全く読めな二人のはしゃぎっぷりで、なんとか気を取り戻すことができた。
今日の夜は、妹が母の代わりに病院に付き添うことを提案した。規則正しい生活をしていた母が昼夜逆転生活なのも疲れた原因だと思ったからだ。入院してからの1か月、夜に母が付き添い、昼間は祖母が代わりに診てくれてる間に少し寝に帰っていたそうだ。そして自力で眠れなくて内科で睡眠導入剤をもらっていたそうだ。
そんな気仙沼に着いた23日、深夜2時(なので正確には24日)
震える声ですすり泣く妹から電話がくる。この時間の電話だ、いい知らせなはずがない。
父は妹に看取られて、息を引き取った。