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風習と無知な姉妹

私の実家のある地域では、「仮通夜、通夜、火葬、葬式、納骨」の順で執り行われる。

やらなきゃいけないこと、用意するもの、決めなきゃいけない事など次々私たち姉妹に投げかけられるものの 「そうなんですか?」「それって何ですか?」とずっとクエスチョンが付いて回る。

親戚や近所の方々が集まって助けてくれるも、本当に無知だった。

18歳で上京してから、何度も実家には帰省してたが、お盆や正月などの親戚が集まるような行事を悉く避けてしまっていた。それは敢えてというよりは仕事の休みを取れるのが、何でもない日だったからということと帰省ラッシュを避けたかったなどの理由でだ。

私の夫も、妹の旦那も今回が初めて親戚に顔を知られることとなった。

そして4人とも喪服を持っていなかった。

私と妹は、準備の合間に気仙沼市内のデパートに行って喪服、靴、鞄などを揃えた。私は産後すぐだったこともあって自分のサイズもわかっていなかったし、母乳をあげやすい前開きの服を選びたいのもあって結構迷ってしまった。

夫と妹の旦那は、親戚から借りれないかと検討もしたが、サイズが合うような人がいないので貸衣装屋に行った。だが、貸衣装屋にも身長は高いが細い二人に合うサイズがなく、これもなかなか迷った。この年の気仙沼はこれまでよりも猛暑だったが、夫は冬の分厚いダブルのジャケットしかなく、(夏用のシングルは若干夫より小さい妹の旦那に譲った)汗だくで骨壺を持つことになる。

お世話になるお寺とは親戚だった。お寺の和尚さんの母親が、父の姉。つまり私は和尚さんの従妹なのだ。この和尚さんの母親は、私が高校生の頃に亡くなった。それも胆管癌。病気が見つかってから亡くなるまでが早かったように思う。父と同じく、もう手術ができない状態で、笑った顔が父に似ていて優しい顔立ちに、ふっくらした頬が、数日で見る影もなく頬がこけ、白く美しかった肌はこげ茶色になっていた。告知をしていないため伯母は回復するはず!と希望に満ちていて、見る影もない姿を見ないよう鏡を隠した病室でしっかりと話す伯母にショックだった覚えがある。お酒を一滴も飲まない人だったらしい。父はお酒大好きだったけど。その後に知ったが、父の兄弟や親は戦争で亡くなった以外はみんな肝臓の病気で亡くなってるらしい。これは家系によるものなのだろうか?

父は、いつもニコニコしていて、怒ることも泣くこともなかったが、このお寺の伯母が亡くなった時だけ こそっと泣いていたのを見た。

あまりにも無知で、親戚付き合いも頻繁ではなかった私たちだったが、お寺が親戚だったことが救いだったように思う。本来家でやるらしい仮通夜、お通夜もお寺の広い場所を貸りることができた。

父に死に化粧をした時、ふと露わになった足を見ていたら、妹の足にそっくりなことに気付いた。私と妹はだいたい似た体系で(妹のが細いけど)服の貸し借りをよくするのだけれど、靴は合わない。妹の足の形は父譲りなのか…。

この地域の習わしで死装束をみんなで少しずつ縫うのだが、紫色なのに驚いた。祖父のときもそうだったっけ?でもそんな見覚えがあるようなないような…

父は地味な色合いの服が好きで、よく父の日と誕生日に服を送っていたのだけれど、落ち着いた色合いの中にも少し爽やかな水色が入ったものだったりを選んでいた。でもやっぱ父はカーキだよね?なんて妹とよく言って選んでたっけ。そんな父が派手な紫色に包まれたのが違和感で、もうこれは現実じゃなくて悪い夢を見てるだけなんじゃないかな?なんて思えて またポロポロ涙が出てきた。

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渡辺矜持
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