なぜ太陰暦は世界のスタンダードになれなかったのか
今回は、なぜ太陰暦が世界のスタンダードになれなかったのか、について話していきます。
太陰暦とは
まず、太陰暦について簡単に説明します。太陰暦とは、その名の通り「月の満ち欠け」を基準にした暦です。現在は世界的には太陽暦が主流ですが、実は太陰暦は人類が最も早く用いた暦法の1つです、古代メソポタミア文明や中国文明で発明されました。
太陰暦の問題点
月が新月から満月になり、再び新月になるまでを1ヶ月として計算します。この周期は約29.5日なので、12ヶ月分を足すと1年は約354日になります。
一方で、地球が太陽の周りを一周する公転周期、つまり太陽暦の1年は約365.24日のため、1年間で太陽暦とは約11日の差が生まれます。そのため、太陰暦をそのまま使い続けると、季節とのずれが徐々に大きくなる問題が生じてしまいます。
例えば、15年後には1月が真夏で8月が真冬になってしまうのです。これは農業を中心とした社会では大きな問題となってしまいます。
太陰太陽暦の考案
そこで考え出されたのが、太陰太陽暦です。これは、3年に一回、1年を13ヶ月にして調整を図る方法です。日本でも6世紀後半から明治時代まで、この太陰太陽暦が使われていました。
しかし、太陰太陽暦にも問題がありました。閏月の挿入方法が地域や宗教的意味合いによってバラバラだったのです。
ある地域では1月に閏月を入れ、別の地域では8月に入れる。これでは「◯月◯日に会おう」と約束をしても、地域によって意味が全く違ってしまいます。
太陽暦の台頭
この問題を解決したのが、太陽暦です。
太陽暦は古代エジプトで発明され、その後ローマ帝国を通じて広まっていきました。
太陽暦は地球の公転周期にもとづいており、季節のずれが少ないという特徴があったことから、農業には適していたのです。
特に、ユリウス・カエサルが導入したユリウス暦は、その後のグレゴリオ暦の基礎になりました。
近代になると西洋諸国で採用されていた太陽暦に合わせるように、太陰暦を使っていた国も太陽暦に切り替えるようになりました。日本も明治時代には江戸時代まで使っていた太陰太陽暦を使うのをやめて、太陽暦を使い始めました。
イスラム世界の例外
ただし、すべての地域が太陽暦を採用したわけではありません。イスラム世界では現在も太陰暦(ヒジュラ暦)が使われています。
これは、聖典『コーラン』に「天地創造の日、神の啓典に定められたところによって月の数は十二であり、そのうち四ヶ月は神聖月である」と定められているからです。
しかし、実際の生活では農作業などの関係で、イスラム世界でもヒジュラ暦とグレゴリオ暦(太陽暦)の両方を使っているのが現状です。
まとめ
これまでの話を踏まえて、太陰暦が世界のスタンダードになれなかった理由をまとめてみると、
季節と暦のずれにが農業に不向き
閏月の挿入方法に対する地域差
太陽暦の普及拡大
国際化への対応
の3つが、大きな理由といえます。太陰暦は人類の歴史の中で長く使われてきましたが、農業の発展や国際化の進展により、太陽暦にその座を譲ることになりました。
暦と文化の関係
ただ、太陰暦が完全に消えてしまったわけではありません。多くの文化や伝統行事は、今でも太陰暦に基づいて行われています。例えば、日本の旧正月や中秋の名月、七夕などの行事は、もともと太陰太陽暦に基づいています。
これらの行事は、現在では太陽暦に換算して行われています。しかしながら、その本来の意味や心は受け継がれています。暦は単なる日付を示すものではなく、その社会の文化や価値観を反映するものと言えるでしょう。
未来の暦の可能性
将来、人類が月や火星に移住するようになれば、それぞれの惑星に適した新しい暦が必要になる可能性があります。
火星の公転周期は地球よりもかなり長い687日です。地球と同じ1年が365日の太陽暦を火星で使い続けるには不便なのは明白です。もしかすると火星の衛星の満ち欠けをもとにした火星太陰暦が火星のスタンダードになるかもしれませんね。