作品を完結させることの重要性
小説でも何でも、完結させることは何より重要です。
よく言われるのが、「未完の傑作より完成した駄作」です。
つまり、完成しなければ評価も出来ないので、とにかく完成させましょう、という教訓を表しています。
これはまったくその通りです。
ただ、正直言ってその言葉通りの意味にとらわれすぎるのも危険かな、と思っています。
真理とは常にコインの裏表のように表裏一体です。
表の面はまさにこの言葉通りの意味でしょう。
「完結させることは重要である」
しかし、それとは別に僕はもう一つの意味があると思っています。
それは、
「完結できるものを見つけるべきである」
ということです。
自分でも駄作と分かっているものを、何が何でも完成させる必要はありません。
もし、本当に苦痛なのであれば、別の本気になれるものを探してみるのも手だと思います。
作者がつまらないと思っているものは、やはり読者もつまらないはずでしょう。
それは揺るがない事実であるように思います。
また、同時に完結させることが重要なのは、それが少なくとも「完結させた」という体験を経ることです。
よくスポーツに例えられるように、文章を書くというのもまた訓練です。
「完結させる」のはその体力をつける訓練になりますし、作品の終わらせ方を身に付けていく上でもとても重要です。
なので、一度も作品を完結させたことのない人は、「完結させる」ことを目標に。
何度か完成させたことはあるけれど、いまいち壁を突破できないと感じている方は、自分の気分が乗り、「完結できるもの」を探すというのが大事ではないでしょうか。
ちなみにこの「完結できるもの」というのは自分の好きなものであるとは限りません。
純文学を志していた北方謙三氏がハードボイルド作家として成功したように、漫画家を志していた宮崎駿がアニメ監督として成功したように。
自分では思いもよらないジャンルが「完結できるもの」である場合もあります。
近視眼にならぬよう、作品を完結させる意味のコインの裏表を理解した上で、それでもなお創作活動を続けていく。
それがもっとも重要なのではないでしょうか。