それぞれの働き方
働きがいのある会社を探していた。しかし、見つからなかった。大学四年生の秋に就職をあきらめ、実家に帰ることにした。幸い、物書きの仕事をくれる人がいたから、しばらく食いっぱぐれることはなかった。地元へ戻ってフリーランスで仕事をしようと考えた。
その時だ。祖母が脳梗塞で病院に運ばれたのは。一命は取り留めたが、左半身にマヒが残った。右手と右足しかまともに動かせず、車イスがやっとの状態だった。長いリハビリのかいあって、右半身で簡単な日常動作は行えるようになったけど、もう、一人暮らしをさせるわけにはいかない。かと言って車イスではトイレの回数も多くて、とてもじゃないが家で介護をするのは無理だったから、病院が新設する施設に移すことになった。
いわゆる、老人ホームだ。正確に言えば有料介護付き老人ホームというもので、特別養護老人ホーム(だったかな?)とは違い、国ではなく病院側が運営している。
当然、その分、費用は高い。教員をしていた祖母の年金があったからこそ払える金額だった。
祖母の年収はほぼ施設の代金で飛んでしまう。それだけ施設の環境は良いけれど、世の中には年収の低い人もいる。もちろん、年収が高いということは医療的・介護的な自己負担額も多いということで、決して一方的に不平等というわけではないのだけれど、やっぱりそこに差はあるものだ。
でも、実感としてあるのは、施設にいたからと言って幸福とも限らないということだ。家族が近くに住んでいてもあまり様子を見に来ない人もいるし、孫に会えるのは年に一回あるかないかだと言う人もいる。
そう考えると、実家に帰ってきて良かったとも思う。就職が決まらず、結果的に帰ってきてしまったのだけれど、そのおかげで祖母が寂しいときに支えてあげることができた。
働くって何だろう、と今一度考えてみることにした。もしあのまま大学先で就職していたら、きっと祖母に会う機会は確実に減っていたことだろう。あれから祖母はさらに二回の脳梗塞を繰り返した。立ち上がるだけは出来ていたのに、それも今はもう出来そうにない。思えば、就職せずに帰ってきたのは運命だったかもしれない。今はそう思うことにしている。今は祖母に出来る限り会いに行き、顔を見せ、洗濯物を持って帰って洗ってあげることが、「働く」ということなのかもしれない。
人それぞれの形がある。誰に何と言われようとも良いんだ。自分が後悔しない道を選びさえすれば。今は、そう強く思っている。