我が子が自分の人生を歩いているということ。
ちょっと長い話を書くね。
備忘録。
美沙の声の出方がおかしなことになり。
それまで普通に喋っていたのが、ポロポロ吃音が出るようになり、みるみるうちに脳から来るものかと思うほどに言葉がゆっくりで一音一音絞り出すように発声する感じ。
このままいったら、今の会社にいられないどころか環境も変えなきゃいけないのかな・・・
という、ある程度の覚悟もしてみたけれど。
ええ。
なかなか寝付けない真夜中にそんな話を旦那さんにしながら泣く私。
ほんとに怖かった。
・・・のにさ。
そんな状況ならメンタルだって絶対におかしいはずだ。
めちゃくちゃ我慢してそんなことないないって自分にめちゃくちゃ負荷かけてるとすら思っていたのにさ。
本人はいたって元気。
心は元気なんだよって、音声アプリで言われてもな。
・・・だったけど。
合間に脳外科に飛び込んでCT撮ってみたけど問題なく。
これは心因性じゃないかなと言う先生の見立てに、6年前に診断名をもらった病院へ予約を入れて待っている最中。
・・・でもこの原因が何となくわかった。
まぁストレスやら疲れはもちろんあったけど。
一番の原因は「美沙が美沙でいられなかったこと」だ。
そして私が怖いと思ったのもそこ。
美沙がこれまでに教えてくれた美沙にとっての発達障害は持って生まれた感覚で生きること。
それがたまたまその場所ではそれを受け止めてもらえる器がない。という話だった。
会社という大人の社会の中で、障害をオープンにしながら、たくさんの配慮をいただきながらも、何とかそこに合わせようとして合わせられなくてエンストしたというのが今回の答え、かな。
いろんな空気も感じる人だからこそ。
仕事の休みに私の用事にあれこれ突き合わせていたのもまずかったけどね。
子どもが選ぶおもちゃを手にしながらにこにこしてるのを見て一瞬子どもへ退行したのかと思ってほんとに怖かったけど、そうじゃなかった。
この子はこの子のやり方でちゃんと自分のバランスをとっていたんだなぁ。
やってることは子どもでありながら、表現することは遥か斜め上をいく。
ある意味本当にアンバランスな人。
でも、それができなかったらこの子は本当にダメになるんだな。
そう思ったら、私はこれまで何を見ていたのかなと思った。
ほんと、久々に激動な親業を経験していたわけでして。
あはは。まぁほんとそう簡単にわが子からなんて自立できないものなのねん笑
いやぁほんと、まだまだっすね笑笑
ってなことがわかると、美沙の様子も落ち着いてみていられる。
いや、一番しんどかったのはそんな本人だからこそ。
きっといろんな事を考えていたし感じていたし。
そんな状況に、会社はとても尊重してくださっていて、さらに配慮もしてくださっている。
それこそがすごいことだと聞くたびに思うのです。
そして、親としてそのすべての経験を尊重したいと思うし、それはあなたのものだときちんとギフトにしてあげたいと思うのです。
ほんと、こんなにも深いものが見られる子育てってやっぱり私にとっては最高のギフトだったりする。
そしてもう一つ思ったのはね、どんなに目に見える、絵だったり音だったり文章だったりスポーツだったりの表現に優れていたとしてもそれはシンプルに目に見えている才能であって、ちゃんと自分が持って生まれたもので自分を表現しながら生きていることこそが真の才能というものなんじゃないかなってつくづく思ったのです。
絵が描けなくなる怖さ以上に、美沙が美沙でなくなる、そんな怖さを知った。
感情を表現することすら拒否しているように見えた。
あるいは心が叫んでいる、そんなように見えた。
そこにはこれまでの私が知っている美沙はいなかったのだ。
・・・自分があるからそれができる。
自分があるから才能も発揮できる。
それは側から見てプラスの要素でも、マイナスの要素でも、全てはそれが自分だと表現していくことだと思うのだ。
ここ、また別の角度で伝えたいなと思うけど。
だから、みんなちゃんと才能って持っているんだよ。
そう簡単にはこれって自分の中で言えないのは、それが自分にとっては当たり前の、なんならそこに価値なんてないとすら思っている、そんなものがとても大事な才能と呼べるもの、だったりするんだよ。
みんなちゃんと自分を生きるってこういうことなんだってそんな深い世界を日々見ているはずなんだよ。
そして笑ったのが、数日前に上げていたfacebookの投稿。
それが今回の話を全て物語っていた。
うふふ。
やるな。私のこの指♪
だからね。
どんなに親が我が子はこうならないようにって心を配ってそれでよしっ!てみていても、すっかり成人して社会人になってもつまずくのは、我が子は母の人生を生きているのではなく、ちゃんと自分の人生を生きているってことなんだよ。
それは素晴らしい、自分にしか生きられない、そんな大事な人生なんだよ。
だから今いろんなことで葛藤している我が子を前に狼狽えているお母さんがいるのなら、大丈夫。
我が子の逞しさを、その経験を思ってほしい。
親にできるのはそれを代わってあげることなんかじゃない。
がんばれーってこんなにも大声なのに届かない、そんな自分の世界でいろんなものと闘っている、そんな我が子を精一杯大丈夫だからって信じて見守ることだけだから。
でもそれ以前にお母さんの自分が子どもの頃の、あのうまく説明できなかったしんどさを思い出してほしい。
そこ、歩いてきたよね。
そして今、これを読んでいてくれるのなら。
ありがとう!
あの日の私。
あの日のあなた。
だから大丈夫だよ。
そんなわけで、よかったらみさせんせいのインスタ見てくださいませ。
我が子は私が思う以上に逞しかった。
そしてやっぱりこれからはこんな感覚を持った人たちが社会を回していく。
ここは確実だと言い切りたいほどに、やっぱり持って生まれた感覚の凄さをいろんな人と話したいなと思う私がいます。
でもそれ以上に、そんな感覚を封じてしまった子どもだった大人のあなたと話したいなと思います。
今日もここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。