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ビバ!大人の成長。#未来のためにできること

私は子どもを産んだら、自分の人生チャラになる。そう思っていたほどに、自分のそれまでの人生は、どういうわけかしんどいものだと思っていた。

え?でもさ、子ども産むんだよ?産んじゃうんだよ?それってすごいことだもの。お母さんになっちゃうってすごくない?だからそれまでの人生はご褒美でチャラになる。

そう思ってた。

なのに。

3歳差で生まれた2人の娘が、育てば育つほどに、私はわけもわからずしんどくなっていってた。

長女は定型発達でありながら、なかなか個性の強い子ども。
今にして思えばはっきり自分を持っていた、そんな子どもだったけど。

次女は発達障害を抱えていた。
みんながわかることがわからない。
先生に理解してほしいところを理解してもらえなかった。

そんな2人の娘たちが育ち上がって見えたのは・・・こんな背景だった。

私の子育ての大前提とは・・・

子どもってこうあるもの。
子どもはこうじゃなきゃ。
だった。

でもそれは、誰に教えられたものでもなく、私自身が小さな頃から、親に育てられ、絶対という存在だった先生に育まれ、良くも悪くも獲得してきた価値観だからこそ。

「受験戦争」そう呼ばれる最中に子どもとして育っていたからこそ。

学校の答えが右なら右と言わないと、みんなと同じ進路には進めない、そんな時代だった気がする。

ほんとは私、左って大声で言いたかったけど、あれ?そう言っちゃったらみんなと同じ方向にいけなくなる?!

そう、勝手に自分を縛り付けていた。

あるいは、この時にはこうするべき!という「マニュアル世代」そんな言葉が全盛期だったから、うっかりそこに乗ったことも数知れず。

楽だった。

だってそれ見たら、答えはこれだよって書いてあるから。

自分の答えを見ることなく、そっちが正解だよねーって流されることも多々。

その答えが出たのは、娘たちが26歳、23歳になった今、だったりする。

2人の娘が全力で私に伝えてくれていたのは育てるって子どもを育てることではなく己=こを育てる己育てだったというほどに、私自身の成長だったこと。

それが、まわりがどんな答えを出そうと、自分が出した答えが正解。
そんな答えを尊重することで、人の答えも尊重できる、そんな気がしている。

自分が右に行きたかったら右に行ってもいい。

そう教えられた気がしている。

大人のそこを育てることがこれからの未来の成長にかかっているとすら思う。
ビバ!大人の成長!!!


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