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人の持って生まれた感覚はあの箱じゃ収まらないのよね。
昨日美沙がおもしろいことを
言っていた。
いや、まだ声が出ないので
音声アプリを通して、だけどね。
なんで自分はこんなに色を
使うんだろうか(だったかな)…と思って
調べてみたら
ASDの人の特徴として
人が見えない色が見えてる、と
言うことらしい。
絵を描いていて、
この色が全部見えてるから
この色を使うんだよ。と。
美沙にとっては
至極当たり前っちゃ当たり前、
なんだけどさ。
要は見える幅が普通の範囲より
広いってこと、なんだな。
だからアール・ブリュットの色に
目が惹かれる人が多いのは
自分にとって見たいと思っていた色を
見せてくれてるから、
なのかもしれないな。
あはは。
そういうことか!
だから私に響くんだ。
そしてふと、
「算数ができないから障害」
なんかじゃなく
「こういう色が見えるから障害」と
言われたいな、とな。
いや、こういう色が見えたらそれは
障害、ではなく、
能力なんじゃないの?
と、母は思うのですがしまっとく。
ってほどに、
まだまだ解明されていない
人の感覚の謎ってたくさんあるし、
それがあの学校という枠の中に
収まることはほんと難しいから
何もその枠に大人が固執しなくていい。
でも、固執しちゃうのは
やっぱり大人の価値観以上に
そこに一人一人の人生があるから。
だーよーねー。
ほんとはもっと表現したかった。
あるいは
ほんとはそんな表現したくなかった。
自己肯定感を育まれていない大人に
目の前の子どもに自己肯定感を育めと
言われたところで
ダメ出しされて育ってきた人には
難しいんじゃないのかな、
と思ったりするけどね。
ええ、私もそれむずかしかったよ。
でもそれは可能性。
めっちゃ無限大な可能性
秘めちゃってるわけよね。
ってことに自分のお宝のありかに
気づいたこと。
これがこれからの私の
大事なテキストです。
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