社会人としての正しさとは【カルバノグの兎 第二章前篇】
カルバノグ編は正直1章+最終編読んでも他のストーリーに比べるとあんまり刺さってないところがあった。
そもそも他のシナリオに比べて一章しか配信されてないからってのもあるんだが、キャラの魅せ方が弱い印象があったんだ。
だが今回更新の2章を読んで、カルバノグ編に欠けていたものが揃った。
それはずばり、ジェネラルという対等な敵対者だ。
ブルアカのメインテーマというのは御存知の通り“大人と子供”“先生と生徒”という対比や関係性を見せるものではあるが、今回は特に“大人”という存在を“社会人”、つまりは規律の内にいる者として描いていた。
今までのシナリオだと、大人と先生はイコールで結ばれていても、大人=社会人的な語られ方はあまりされてこなかった。それはシャーレの先生という立場がかなり特殊で、一般的な社会人に当てはめられる存在ではなかったからだ。
だがカルバノグでは軍隊という規律を重んじる組織、連邦生徒会での政争が絡んでくる都合上、いつも以上にシビアな“大人の存在”を描くことになったのだと思う。
今回のお話における“大人”の代表は、先生ではなくジェネラルだ。
彼はどこまでも“社会人としての正しさ”を説き、押し付けてくる。
子供からすれば直視したくない存在だが、自身も社会人であるプレイヤーには刺さる部分の多い、共感できるキャラだったのではないだろうか?
特に彼の「信条や矜持、理念は別として、組織の損得や命令を優先する」というスタンスはまさに社会人の鑑だ。これを「そんなの嫌だ!」と突っぱねられるのは子供でしかなく、仮にも大人である先生にも彼を否定することは出来ない。そういう意味では、先生はこのお話においては“正しいこと”を言える立場から除外されているかもしれない。
だが、ブルーアーカイブはあくまで「生徒たちの青春の物語」なので、生徒が納得できればそれでいいのだ。
RABBIT小隊が
「確かに組織としてはあなた方が正しいです。でも私達は、己の正義を貫きます」
という答えを出したならば、それを後押しすることで“先生としての正しさ”を証明出来る。
つまり今回の話は、“社会人としての大人の正しさ”と“先生としての大人の正しさ”の戦いという構図でもある。
シナリオで敵対すべき相手が、なりたくなかった、それでもなってしまった大人(社会人)というのは皮肉なものだ。彼を打ち負かしたとしても、プレイヤーの心中には痼が残ることだろう。
と、ジェネラルについて少し語ったりもしたが、実際のところブルアカくんの想定する今回のメインの敵役はカヤだろう。
正直なとこ、カヤの物語内での存在は、現状道化としか言いようがない。超人に憧れる愚かな子供として、悪い大人に搾取される。そんな存在。
でも俺は、そんなカヤのことを嫌いじゃない。寧ろ、二章を読んで増々好きになった。
自分には人望がないと言っているが、人望を得るだけの努力や行いを怠る部分。政争ばかりにかまけて業務の実態を把握できていない部分。誰も信用していない、なんて顔をしながら、悪い大人に簡単に騙される部分。実際に連邦生徒会代行という地位を手に入れてる以上、それなりに頭は回る筈だが、中途半端故に詰めが甘い部分。
彼女は客観的に見て超人には程遠い凡人だ。
それでも、彼女なりのやり方でキヴォトスをよくしようとしているのは感じられるので、やり方はともかく彼女を“悪”と認識するのは難しい。
自由を奪い、規律によって生活を保障する、という理念も別に間違ってはいない。ただ、それは彼女が超人でなければ成り立たないというだけで。
なぜカヤはそこまで超人に拘るのか? 連邦生徒会長という地位に拘る理由は? それを深掘りすることでカヤというキャラは道化でなくなるだろう。
今回の2章前編をもって、カルバノグ編での方向性が見えたきた気がするが、後編、それ以降でどう回収されていくのか……楽しみだぜ。
余談:
連邦生徒会内の関係図……結構ドロドロしてるよな。
アオイ→リン⇄生徒会長←カヤ
ってコトでしょ?
まぁぶっちゃけ、カヤが超人に拘る理由は生徒会長に心酔していて、自身もそうあろうと、彼女が居ない穴を埋められるようにしようとしてるってコトなんだろうけどな。同時に、生徒会長から一番信用されてたリンちゃんが気に食わねぇ! つって今回代行から引きずり落としたみたいなとこあるし。