YouTube【京タロラジヲ・分家】の補足記事です。
■京タロラジヲ分家/九、葛葉狐に迫る ▼
(2019年2月19日、記)
健康優良児のわたくし、美容師のくせに手荒れに無縁のわたしくし。
そんなわたしの手が突然荒れ出したのは今年の一月。
左の手の甲、すぐに良くなると踏むも、悪化の一途…
まさかの病院行きとまさかのステロイド。
いやはやわたしがステロイドを塗ることになるとは… 治りかけてはぶり返し、治すのに結構手こずった。
健康自慢の話ではない。
この手荒れ自体と治りにくいしつこさ、これがわたしにしたらかなりレアで、サプライズ…(嬉しくない)
昨年夏から手にした「京都タロット」を落とし込むために本格的に動き出したのが師走頃で、その頃から大きく変わり出したことは、伏見稲荷のこと。 わたしの伏見稲荷嫌いは相当なもので、筋金入り。
伏見に嫁いで14年、稲荷を信仰する氣はゼロで、お詣りも行かないし(仕方なく付き合いで行くことは数回あった)断固拒絶。
神さま神さま!商売繁盛お願いします!の人の欲と業が渦巻く感じが絶対に受け付けなくて(それ以外にも眷属とか色々あるが)わたしは伏見稲荷はダメだと親しい人には言っていた。
これほどのお膝元に永住しておきながら、である。
そう、この土地への縁も疑問の一つで、逆に言えば縁がある(それも相当の)はずなのだが、ここまで嫌いも過ぎると、よほどの縁なのだろうと薄々はわかっていたのである。
嫌いすぎて大いに氣になるのである笑 だから、スルーするかといえばそうではない。
氣になるものだから、なかなかの具合まで実は調べたりもしていた。
嫌いなくせに定期的に稲荷が氣になり調べるというのをなんだかんだ繰り返してきた。
でも、絶対に受け入れたくない、という。
師走に、神社友としても親しい方が、同じく稲荷がダメだったのがOKになった話を聞いて、わたしはどこからか予告の鐘の音を鳴らされたような感覚になり、思えばあれが皮切りに… 。
細かい話は諸々あるが、正月が明けて完全に稲荷が解禁になった。
まだ認めたくない自分がどこかに残っていつつ、もはやそれも消えるのは時間の問題とわかっていた。
正月三日に一人で稲荷山の一の峰まであがり、山道をフーフー言いながら…まさか初詣の人混みに混ざってわたしが正月に稲荷に参拝する日が来るとは…と苦笑い。
嬉しいとも屈辱とも違うが、時が来たと言うべきか。
京都タロットの生みの親のミケ氏にももちろん稲荷解禁の報告はして、いろんな話をする中で、わたしに訴えてきているのが 葛葉さん ではないかと言われた。
安倍晴明の母親で、白狐のくずのはさん。
それは青天の霹靂ながらどこかで知っていたような懐かしさすら感じるような感覚もあり、葛葉を調べたり、大阪の信太森葛葉稲荷神社へ参拝へ行ったり(ここがなかなかのカオスで面白い)、自分自身の探求で引く京都タロットでも葛葉さんはもちろん出てくる。
そんなことをしている間に、手荒れが始まった。
ひょんな話でミケ氏に言うと、妖怪の仕業やろかねぇ、と。
神も妖怪も含めた妖なもの。 なぜならミケ氏も同じ経験をしていたから。
2007年刊行の妖怪本(発売当時わたしも購買して今も持っている)の取材、執筆中、大人がかからないような子どもの皮膚疾患や、帯状疱疹などに見舞われて、妖なものが身体を通る… 洗礼のような歓迎儀式のようなものだと。
からかわれながらもそれが過ぎると強い守護へと成ってくれる。
左は女性性ということで、二人の意見は一致する。
葛葉さんだわねぇ… 京都タロットは稲荷解禁の通行手形であり、いよいよ稲荷へいざない稲荷との縁が始まる。
そして葛葉さんがわたしを通過して、京都タロットの真髄を落とそうとしている(のだろう)。
そんなことを話してはタロットに興じて、あれやこれやとタロットトークを繰り返す日々。
手荒れもやっと治ってきた頃、手荒れと同時にややおかしかったまぶたが一氣にかぶれてきた。
お岩さん甚だしい。
今度はまぶたか… 儀式はまだまだ終わらぬようで… 家にある薬で一度完治したと見せかけ、フェイントを食らう。
ミケ氏と稲荷の奥宮ではないか?と勝手に二人だけで盛り上がっている五社之瀧神社へ行くことになったのだが、そこは三年前にわたしが散歩中偶然見つけたところ。
それはそれは怖ろしく且つ魅力的でおしっこチビりそうな神社で、一人で行ったことも相まって、もう二度と行くまいと誓った場所であった。
二度目が来るとは予想もしてなかったが、この計らいは納得であった。
あんなに恐ろしかったのに、深い場所へ行けば行くほど聖域のような場所であった。
もう怖くはなかった。
この日は、前日にやっとまぶたも回復していたにも関わらず、またお岩さんと化してしまい、一重のノーメイクで出かけた。
氣にせず出かけるわたしもわたしである笑 そうしてその後はすぐにまぶたも良くなり、メイクしても大丈夫なほど回復し、薬も塗ることもなく過ごせるようになった。
が、束の間の数日… 急に再発し、朝起きたらお岩さん… おいおい。
しかも今まではどちらかというとカサカサ氣味だったが、今度はプクッと腫れるようで赤みも強い… 痒みも前よりあるし、今までの薬の効きが悪い。
こいつは病院へ行かないと治りが悪いの決定パターンと思い、無理やり時間を作って手荒れで行った皮膚科へ。
何か接触性のかぶれ方やと言われ、 メイク用品?化粧品?いつもと違うことしたとか? どこか行った?植物触った? などなど聞かれたが、特に該当しない。
わたしにしたら原因はわかっているが、まさか 「妖怪です。」 とは言えず、薬が欲しいだけなので、まぁ花粉症ではあるので花粉ですかねと話を合わせて帰った。
鏡を見てじっくり観察すると このプックリ腫れの日は前回にも増して、まぶたの目頭側、目尻が丸く赤い。
一重のまぶたの目頭と目尻に淡く紅をさしたような顔… 何かに似ている… なんだっけ… あゝそうだ、狐の面だ… ははは…なるほど…そうきたか。
とことん狐が通過中らしい。
「神々が肉体を流れる、通過する、一体になる、のが京都タロットとは思っているのだけれど、一体化しすぎ…というか…汗」
そんなことをミケ氏にも言われながら、わたしはこの狐顔を味わい楽しんでいる。
翌日には薬が効いて二重には戻った。
赤味はまだあって、狐満喫中…かゆいけど。
プックリの日にたまたま店に寄ってくれた友人に、 わたし今日こんな顔してへんかった?て狐の面の写真を送ると、「してたー!!!笑笑」て即答。
後々、葛葉稲荷神社で買った張子の狐を見ていて、 ん?狐の面よりもこっちの方が近いんじゃ?と思ってまじまじ眺めたけど、近いというよりこれそのもの。
葛葉狐の顔になっている。
「おうちの女の人は、よりしろっていうて なにか、だれかの、身代わりだったり。 でも、ちゃんと報われていく。」ミケ談。
妖怪のせいなんて ばかげた話と思われても だからってほかに理由が見当たらない。
それならいっそ、狐に化かされたほうが面白い。
化かすと言っても、まぁ、わたし自身の身体なのだが……
その後、葛葉狐の考察に発展 ▼