葛葉狐
YouTube【京タロラジヲ・分家】の補足記事です。
■京タロラジヲ分家/九、葛葉狐に迫る ⇩
安倍晴明の母、葛葉の話…
摂津国の阿倍野というところに、安倍保名という侍が住んでいた。ある年の秋、保名は信田の明神へお詣りに出かけた。日の暮れ、森から狩人に追われて逃げてくる若い牝狐と出会う。保名は、その狐をかくまってやった。追ってきた狩人たちは、保名たち一行に負かされ、一旦退散したが、保名が牝狐を森へ返した後に、仕返ししに大将を連れて戻ってきた。大軍に取り囲まれ、太刀打ちできず、保名は大怪我を負ってしまう。のちに、保名に助けられた牝狐が、娘の姿に化け、保名を甲斐甲斐しく介抱し、共に過ごすうちに夫婦となり、男の子が生まれる。三人は平和に暮らすが、やがて子が五歳になる頃、家で留守番をしていた葛葉は、うっかりうたた寝をしてしまった。すると、狐の姿に戻ってしまって、寝ているところを子に見られてしまう。子は驚いて叫び、父を呼びに出て行くと、叫び声で目覚めた葛葉は、何が起きたかを悟り、恥ずかしさと悔しさで泣きながら森へ逃げて行った。子に呼ばれて家に戻った保名だったが、その時にはもう葛葉の姿はどこにもなく、障子には歌が残されていた…
「恋しくば たずねて来てみよ 和泉なる しのだの森の うらみ葛葉」
諸説あるが、これが「信田妻」「葛葉狐」と云われる話の概要である。
生まれた男子は「童子丸」と言い、この子が安倍晴明であるという伝説。
子は三歳、五歳、七歳と、母と別れる年齢も諸説ある。
この後、母恋しさで子を連れて保名が葛葉を探しに森へ行く。葛葉はもう人には戻れず、一緒には暮らせないと言うが、天地のことも人間界のことも、残らず目に見るように知ることが出来る竜宮の護符と、耳に当てれば鳥獣の言葉でも草木や石ころの言葉でも、手に取るようにわかる玉を保名に預け、この二つの宝物を子にやり、日本一の賢い人にしてやってほしいと頼んで去る。その宝のおかげと半妖の非凡な才もあり、童子丸(安倍晴明)は、稀代の陰陽師へと成っていくのである。
物語要素が強い浄瑠璃などの演目の内容なども含めれば、この後の話も諸説存在するので全ては紹介しきれないが、葛葉狐は、世界中にある異界妻の話としては、特に興味深く面白い。
ところで、わたしはこんな奇妙な本を持っている。
「稲荷大神霊験記・夢判断実験書」
稲荷調べ(現在進行形)が始まってから、図書館で見つけ、手元に置くため購入した。ガチ古文で書かれているため、現代語訳をする必要がある。
序章には、稲荷関連の書籍千巻をまとめた書、ということで記されている。ありとあらゆる“稲荷”に関する事柄、歴史、修行法、霊験記、秘法…etc が載っている。昭和六年初版。
ここに、「靈狐人の子を生める奇蹟」という章で、最も膾炙(世に広く知られる)されている話が、信田の森の葛の葉狐である、と記されている。
そして、世間一般に知られる葛葉狐の話とは違い、白狐の葛葉の出生から記されていて、非常に興味深い。
以下、現代語訳ダイジェスト。↓
(拙いわたしの訳であるので、多少間違いもあるかもしれない)
この狐(葛葉狐のこと)は白狐伝によると、我は元々、殷(古代中国王朝)の太康の時代、虞という国(現在の山西省)の槐山というところに生まれた牝狐であり、周の桓王の時代、齊(国名)に仙術を修めた人がおり、深山に入って仙術を学ぶ我の相手をしてくれ、長生きをして死なない方法を考えては、いつも葛の根をとりお互いに食べ、我が仙人を褒めて、”葛公”と言うと、仙人もまたわたしを”葛葉”と呼んだ。この葛公は、金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう/又の名を、簠簋内伝ほきないでん)を選び、齊の襄候に差し上げるときに、我に、この書は世に広く伝えて、(中略)そなたは代が改まり時が経っても、永くこの書を守り失くさないように常にこの書の側にいなさいと言った。唐の玄宗(皇帝)の時代、吉備大臣(吉備真備/奈良時代の学者)が入唐し、この書を得て日本に帰り、我も共に渡った。云われの通り書を守ろうとするも御所に入れられた。たいそう畏れ多い三種の神器が納められた御牆(みがき)の中に、狐を入れては可哀想だから入れてはならないと、時の大臣橘諸兄が夢見し、この書を清原春連(後に春雄)に渡し守らせた。これによって、我再びこの書を側で守ることが出来たが、白菊の草叢に住む我は、ふと見た春雄の素敵な形(なり)に見惚れ、獣であることを忘れ、春雄がこの信田の社詣出に来た時、美しい乙女に化け琴を弾き、今風の歌を詠んだ。そうして春雄にたいそう愛されて、館で連れ添い、千百歳を生きてきた我も人間と交わるのは初めてであった。いつしか身ごもり生んだ子は、狐ではなく美しい女の子であった。この子は豊子と名付けた。すると、子が出来たことで正妻と敬われた。やがて豊子が三歳になった時、内侍所(御所に祭られた三種の神器の鏡を祭るところ)の胙(もろき、ひもろぎ/お供えのお肉)を食べてしまい、我は本性がたちまちに露わになり、恥ずかしい獣の姿を春雄に見られたので、清原の家を出た。しかし伝書の守りもあり、娘への愛着もあり、遠くへは行けなかった。楠木の下を栖家(すみか)とし、陰ながら我が子を見守っていたが、悲しいことに道を外れ、人間と交わったことで、八万四千の眷属(狐)からも見離され、独りで信田の森の蔭でひっそりと月日を送った。そしてある時、葛葉狐は豊子が災難に遭った時に、安倍保名に助けられたことで、その礼として保名を呼んで来てもらい、豊子と夫婦にさせた。ところが豊子は死んでしまったので、賀茂保憲の娘の「葛の葉」が、保名の後妻となった。しかし保憲一家に災いが起こり、「葛の葉」が行方不明になってしまう。そこで、狐は「葛の葉」に化けて、保名に連れ添い、身ごもり男の子を生んだ。これが安倍晴明である。ところが、晴明三歳の時、保名の元へ行方不明だった人間の「葛の葉」が帰ってきた。
「恋しくば 尋ねても見よ和泉なる 信田の森の忍び〻に」
という歌を残して狐は去り、ここで保名は、今まで居た葛の葉は、信田の森の狐であったことを知った。その夏、毎夜、森へ狐を探しに童子を連れて出かけ、歌を詠みながら誘い出した。童子にも母を呼ばせようと座らせると、丑みつ頃、「尋ねてくれて嬉しい」と声がして、声の方を見ると、十二〜十五の年頃で緋色の袴の侍女を五十人ばかり左右に従えて、暗く暑い夜半でも光明がさして輝く母狐はずるずると寄ってきて、保名の膝から童子をとり、乳をやりさめざめと泣いた。ことの因果と素性を我が子に語り、別れようとしたが、保名は、子が十三、十四になるまで一緒に育てようと口説いた。しかし狐であることを隠すと、我が通力は失せてしまい、身体もただの獣と落ちていってしまう、我は白狐となって失せたい、と言った。
「靈狐人の子を生める奇蹟」より
これは、おそらく白狐の葛葉を主語とした文章になっており、「我」というのは葛葉のことである。
安倍晴明を生むよりもさらに千百年前に、虞という国で生まれた牝狐であり、仙人との縁で「金烏玉兎集」の守りとして遣わされ、日本へ渡ることとなったが、遣いのうちに春雄なる男に惚れ、千百歳にして初めて人と交わり豊子を生むが、狐であることが知られてしまい、さらには仲間の眷属からも外道として見離され、独りで森の陰から豊子と伝書を守っていた。
そのうち、豊子に災難があり、それを安倍保名に助けられたので、お礼に豊子と夫婦にさせたが豊子も死んでしまった。
その後、賀茂保憲の娘の「葛の葉」が後妻になるも、一家の災難で「葛の葉」は行方不明になる。
そこで葛葉狐が「葛の葉」に化け、妻のフリをし契り、安倍晴明を生む。
しかし本物の「葛の葉」が帰ってきたため素性が知られて森へ逃げた。
安倍保名と夫婦になる前に、清原春雄という男に惚れて豊子をもうけていた、それが初めての人間との契りであり、保名は二人目で、しかも豊子の夫だった男なのである…。
子は可愛く離れ難いが、母としてよりも「白狐」である身を失いたくない…。
訳が間違っていなければ、およそそのような意味だと思うが、俄然話が面白くなっていることに興奮冷めやらぬわたしは、葛葉狐の話をついつい深めていってしまったのである。
この話は、検索などをしてもほとんどあがってこず、清原春連(春雄)、豊子、などの情報も見つけられなかった。
ただ、安倍晴明についての本には、賀茂保憲とその娘の話が載っており、賀茂保憲は陰陽師の大家の九代目で、そこへ入門希望で安倍希名(まれな)という男が来て、器量の良かった彼と娘の「葛子」を妻合わせ、「保名」という名を与え、後継者にしたということである。
保名はこの名誉を常から信心している信太明神のおかげと、明神詣りに出掛けた際に、森で狩人に追われた白狐を助けた。
その後、ある貴族の恨みを買った賀茂保憲が、無実の罪で流罪となったが、保名は吉備真備から賀茂家に伝わる秘宝「簠簋内伝金烏玉兎集」を守るため、なくなく残った。
葛子は父の保憲と一緒に行ったはずが、ひょっこりと戻ってきた。
保名が恋しくて戻ってきたという。
やがて二人の間に、童子丸が生まれ、美しく賢い子に育った。
しかし童子丸には、虫などを食べる悪食の癖があった。そのうち何年かして、保憲の流刑が解かれ帰ってきたが、保憲は葛子を連れて戻ってきたのであった。
保名はこれに驚き、共に過ごした葛子は誰なのだ?と思った。
白狐は童子丸には自分の素性を話した。
保名が、偽の葛子は森で助けた白狐だったと氣付いた時にはもう姿はなかった。童子丸の悪食の癖も、狐の血を引いていたからだった。
白狐は障子に歌を残して森へ去っていった。
安倍晴明」藤巻一保 著、「龍神楊貴妃伝」サイトより引用
「稲荷大神霊験記」の葛葉狐の話と繋がるのは、これだけしか見つけられなかったが、どうやら賀茂保憲の娘(葛子か葛の葉か)と夫婦になった保名が、娘に化けた白狐との間に安倍晴明が生まれる、ということは共通している。
これをさらに、白狐の立場、葛葉狐の目線で記されているのが稲荷の霊験記なのである。
葛葉は、中国から伝書の守り役として遣わされ、遣唐使の吉備真備と共に(共にと言っても白狐、いわば精霊として憑いているということと思われる)日本へ渡ると、「稲荷記」によれば、時の大臣橘諸兄の命で清原春雄に伝書が渡り、春雄に惚れた葛葉狐が、人に化け夫婦となり豊子を生むが、素性が知られ森へ逃げる。
伝書と豊子を守りたく、森で孤独に陰ながら見守っている時に、災難から豊子を助けてくれた安倍保名を豊子の夫にしたが、豊子が死んでしまい、賀茂保憲の娘が後妻となった。
しかし賀茂家の災難により娘が行方不明になる。
そこで葛葉狐が娘に化けて、保名との間に安倍晴明を生む。
「書・安倍晴明」によると、陰陽師の大家である賀茂家に、保名が入門してきて、賀茂保憲が娘の夫に見染め、後継者にした。
この出世に保名は明神へお礼詣りをする。
そこで狩人に追われる狐を助ける。
しかし賀茂保憲への無実の罪の流刑で、保名は賀茂家が所有する吉備真備から伝えられるという秘伝書を守ることになり、家族と別れる。
しかし父を置いて娘が戻ってきたので、夫婦は共に暮らすことになった。
しかしこの娘は、以前助けた狐であり、娘に化けていた。
保名と狐の間に安倍晴明が生まれる。
稲荷記による、「賀茂家の災難」と「葛の葉が行方不明になるが後に帰ってくる」というのは、賀茂保憲の無実の罪による流刑と、刑を終えて父と共に帰ってきた葛子のことであるのか、内容は“災難”としか書かれていないので真相はわからないが、内容としては合点がいく。
白狐としての出自、伝書の守り役という遣いの目的、清原春雄との契りと、豊子を生むというところが、稲荷記にだけ記されていて(その他細々とした違いは勿論あるが)、このあたりの件りが非常に興奮するところである。
崇高で従順で、純愛かのように見えて、実はそうでもないところが狐らしいというか、女らしいというか、人間らしいのかなんなのか不思議な話の交錯が、あっぱれである。
真実がどこにあるかはもはやどうでもよく、真実か否かを探っているのではなく、ただ永遠に、葛葉狐と安倍晴明にわたしたちは騙され、呪術をかけられているような、そんな快感ともいうべきか。
なんとまぁ、面白かったことか。