自分で自分にしてあげる|2020.4.16日記

遂に在宅勤務が始まった。対人援助だから全部家でやるわけにはいかないので、各々隔日で出勤して、一日に職場にいる人数を半減させている。

彼の職場も同じ取組をしていて、在宅勤務になる日がちょうど真逆なので、在宅勤務時は常に一人だ。なので、巷で話題になっているようなリモートワーク同士ゆえのトラブル、とかはない。
というか、一人でおうち時間を過ごせるの、久しぶりかもしれない。なんか、やっぱ大事だな、ひとり時間。

かといって、ひとり時間中に急な不安に駆られてどうしようもなくなって、助けを求めることもできずに詰むこともあるので、難しいところ。


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今日は一日中、新人のテレワーク研修的なことをしていた。比較的喋っている時間が多くて気が紛れた。

ビデオ通話じゃなかったので、ちょっと体調が悪くなったら熱さまシートを貼れるし、悪寒がしても布団をかぶっていられるので、なんていうか仕事環境的には爆上がりだ。

通勤もないし。お昼に納豆ご飯とか食べれるし。

ちょっとした体調不良みたいなものを無理せずにその時にケアできるのって、大きい。

でも、夕方を過ぎたら熱っぽくなって頭痛もしてきたので、なんていうか、別に通勤してフルで仕事をしてもしてなくても体調悪いんだなということは分かった。

ああそうなのね。むしろちょっと清々した。
仕事だけをどうにかすれば解決するものでもないのだな。


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前回の診察は体調不良でドタキャンしてしまった。どれだけ動けないなと思っていてもドタキャンすることはなかったから、自分でもちょっと驚いた。

ドタキャンした分の振り替えで病院に行ってきた。主治医との間にはビニールシートが貼られていた。

4月からは特に、仕事でもプライベートでも私は「頼られる」方の役割であることが強まって、あまり外に愚痴も吐き出せずに(というか、言葉で口に出して言えるほど自分の課題と向き合う余裕もなかった)、自分のご機嫌は自分でとっていたのだけど。やっぱり疲れちゃうし、なんでもないことに不機嫌のオーラがひっそり滲み出ちゃう夜とかあるし、その日その日のご機嫌は一応取れても、長期的に見れば結構な負担が蓄積してしまったな、と思う。でも自分でご機嫌をとって騙し騙しやっていくしか、今を切り抜ける方法が見当たらない。

そんなことを主治医に話したら、「もうそれを続けていくしかないのかねえ」と苦笑いされた。ですよねえ、と思う。主治医は、このタスクは今すぐ切るべき、みたいことは言わない。あくまで私の生活を尊重したうえで実現不可能なことは言わない。そういうところ、安心できるんだよなあ。

「今を続けなきゃいけないとしたら、それでも心からホッと安らげる、あなたのためだけのあなたの時間があるといいねえ」

と主治医。そうして、私が日々の中でどうやったら休まるか作戦を一緒に立ててくれた。結論、日々の自分のための行為を自分のために大事にしてあげるに尽きる、というものに至った。

コーヒーを淹れた時は何も考えずに香りに撫でられるような安らぎを味わう、とか。料理をして無心になる私の好きな時間に没頭する、とか。なんか、自分で自分に「してあげる」みたいな。自分で自分を労わることを、自分に手間暇をかけてあげる、みたいな。

「最近、美味しくご飯を食べてる自分とか、ご飯を用意した自分とか、明日のためにお皿を洗えた自分とかはちょっと好きになれるので、そういうのでご機嫌とってます。」

と私がポロリと話すと

「結局、家事ってジジだからね、“自事”。ジブンゴト。」と主治医は言った。

でも結局、だから、「丁寧な生活」の自己肯定感ってそういうことだよなあ、と思う。生活って、結局自分のためのもので、それは家族がいたって一人だって突き詰めれば自分のためのもので。しかも「生活」って滅茶苦茶自分のフィールドなので、それが良いか悪いかで迷惑を被るのって、結果自分だ。それでガヤから「なにそれ迷惑なんですけど!」と言われることはあまりない。

その自分のための領域に自分で手間暇をかけてあげるのって、何者にも邪魔されずに自分で自分を労ってあげられる数少ない行為だよなあ、なんて最近考えている。しかも生活って。毎日だし。

私が家族のモノの片付けをしてる時って、自分のためにやっているんですよね。家族のためのいう気持ちだけだと苦しくなっちゃう。
片付けをすることでおうち全体の気が上がってくるから、自分自身が幸せ。
(引用:近藤麻理恵 Instagram 2020.4.3)

ちょっと違うかもしれないけど、ときめきお片づけで有名なこんまりさんのこの投稿、なんかわかるなあ〜。


「まあ、あとは、心から休まる一瞬っていうのかな、そういうのを、味わえるといいね。」

大事なことは二回言う主治医。主治医は珈琲と紅茶が好きなので、こういう「ホッ」の例えの時には十中八九、珈琲を淹れる時間が引き合いに出されるのだけど、主治医はそうして「ホッ」を味わっているんだろうなあ。


でも最近の私は「ホッ」の緩みを心が感じた瞬間に、抑え込んでいたヤバめのナニカたちがひょっと顔を出してくるみたいな危うさがあって、「ホッ」の「h...」くらいで、ギャー!!!っとなってしまうので、心の紐を締めてしまう。そっ閉じ。

緩めたあとに受け止めるだけの余裕がないのかもなあ。なので今はちょっと、とりあえずジブンゴトを大切に生活したいなと思います。おしまい。

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