2/6 仕事に間に合った日の日記

今日は仕事に間に合った。こんな生活を続けているうちに、仕事にギリギリ間に合う電車を覚えてしまった。


毎朝起きれず辛い私は「薬を飲む時間が悪いと思うの。今日は一時間早く飲んでみる。」と彼にいう。返ってきたのは「そんな単純なものじゃないぞ〜(笑)残る時は残る。ダメな時はダメだ。そういうもの。」という期待を裏切る言葉。そうか、そんなもんじゃないのか。海千山千の先人の言葉はいつもリアルだ。


そういえば、昨日午前仕事に行けなかった私に彼は「午後は仕事に行けたんでしょ。すごいよ。」と言ってくれた。先人は目の付け所が違う。

先人はそうやって違う視点から、窮屈になっている私に少しの余裕をくれる。全体が見えている。と思ったけれど、よく思い返せば、その言葉は鬱で仕事に行けなかった彼に私がかけた言葉でもある。同じ状況でも、あの人にはこう思えて、自分には思えないなんて、やっぱり自分ってややこしい。でもだからこそ、外から見えている彼に、言葉をかけてもらえるのはありがたい。



そんなことを考えながら帰ったら家は真っ暗なのに彼の靴があって、どうやら今日は彼の方がダウンして仕事に行けなかったようだ。そして明らかに落ち込んでいる。全然起きれなかった、薬の量がおかしいのか、とブツブツ言っている。「そういう時もあるよ。忙しかったし疲れてるのかも。身体が少しでも休まったなら良かったんじゃない?」と私が言う。彼が、そういうものか、と言う。


昨日の私が今日の彼で、昨日の彼が今日の私みたいだ。今後もこうやって、あの時とその時を行ったり来たりしながら、あげたり返したりして気づいていくんだろう。


お互いに今はまだ、自分で苦しい自分を受けとめて優しい言葉をかけてあげられるほど器用じゃない。お互いを媒介しながら、少しずつ自分も受けとめてあげられるようになればいいね。



追伸 私へ

今日上司から体調のことを確認されたあなたは、「起きるのが難しい。でも来たらやれてしまう。」と答えました。「来たらやれてしまう」とポツリと繰り返した上司の言葉にハッとしましたね。他者の言葉で返ってきたことで「やれて“しまう”」ことに、助かり、そして困っていることに気がつきました。覚えておきましょう。

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