2/7 女子会の日の日記、モヤモヤと正直と私

「7日、結構楽しみなんだよね。私。」

隣の席の先輩にそう言われるまで忘れていたけど、今週の金曜日は職場のバレンタインチョコを買うという名目の女子会がある。気づかぬうちにそんな季節。気づけば節分も終わっている。先輩の卓上カレンダーには「2/7 女子会」と書かれていて、本当に楽しみなんだな、と私まで少し楽しみになった。


今年異動してきたその先輩を私はすごい好きだ。天真爛漫、活発、とかいうわけではないのだけれど、喜怒哀楽いろんな顔が垣間見える人。何気ない言葉の一つ一つに気持ちを乗っけて、穏やかに確かに感情を表す人。その時々の自分の感情を、丁度いいバランスで世界に落とし込む人。

絶妙に自分を開示している人は、やはり一緒にいて安心する。信頼できる。誠実だと思う。

と同時に、羨ましい気持ちがふつふつと湧く。



私は「怒る」や「悲しむ」ことが苦手だ。苦手というより、自分でその感情を認知できるまでにかなりのタイムラグがある。その瞬間に自分が怒っている・悲しんでいることに気づけない。言葉にならないモヤモヤだけ抱えて、数ヶ月に「あ、怒ってたのか、私。」となることがザラにある。だから、その時々で自分の怒哀にサラッと気づき、さりげなく表現できる人を見ると「はあ、すごい」と心から思う。

心から楽しい時や嬉しい時はそんなに問題ない。自分の気持ちに自信がある。その心の内を見せるも見せないもコントロールできる。問題は困惑したり迷っていたりイライラしたり悲しかったりする時だ。マイナスの気持ちを持っている自分を人に曝け出す自信がない。モヤモヤを冷静に言葉で伝えるほど自分で受け止められていない。そうして、自分の気持ちに耳を傾ける前に相手の顔色を伺って言葉を選ぶ、相手の「正解」を探す癖。


そうか。私はマイナスの気持ちを持っている自分を人に見せる自信がないのか。嫌われるんじゃないか、何言ってるんだ、そんなことないだろ、と言われることを恐れているのかもしれない、と気持ちを吐き出しながら、今気づく。

楽しさや嬉しさは、言うこともできるし、言えなくても心の底で思っていられるけど、モヤモヤしている時は「私は」と言えずに黙って言葉を押し込んで、相手の「正解」を必死で探して、そうしているうちに自分の気持ちを見失ってしまうのかもしれない。



そんなことを考えていたら、もう7日も終わる。女子会も終わった。良さげなチョコを買い揃えて、お姉様たちと女子会を楽しんだ。女子会でも「実は私さあ…」とふと切り込んだのは、隣の席の先輩だった。皆思っていたけど言っていいのかと口をつぐんでいたこと。先輩の一言を口火に、みんなの知らなかった気持ちが出てくる。今回に関して言うと、私がモヤモヤしていたことは、みんなにとってもモヤモヤだった。そしてそれは職場の問題だったので、共有して正解だった。モヤモヤを共有した私達は少し肩の荷を下ろしてそれぞれの家に帰った。じりじりと反応を探る空気を押しのけて、静かにしっかりと問題に向き合ったのは先輩だった。


自分に正直な人が他人に誠実だと感じるのは、他人の反応を乗り越えて自分のモヤモヤをも表に出しているからかもしれない。そんな人を妬ましく思うのは、波風を立てず自分を押し殺す私の弱さに直面してしまうからかもしれない。


モヤモヤもマイナスも悪いだけのものじゃないのだ。それもキチンと大事なのだ。そしてモヤモヤに自信がないのは私だけじゃないのか。それが分かっただけでもよかった。出す強さを持つことはすぐには難しいかもしれない。だけど私のモヤモヤを私の中で受け止めてあげてもいいのだと思うことは出来た。私のモヤモヤも、もう少し大事にしてあげようと思う。

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