診察の記録|2021.2.6

三週間ぶりの診察。最近は三週間スパンの診察でも身体も心もついてきている。突然爆発して急遽予約を取ることもなく、この日を迎えられた。


「アルコール依存の患者さんがいるんだけどね、お酒で一瞬心臓止まっちゃって入院したのね。で、退院後ぼくのところに来ているんだけど、話を聞くと『そもそも小さい頃から早く死にたかった』『あの時死ねていればよかったかも』『お酒飲んでなにも考えてなかった時期が一番幸せだったかもしれない』って言うのね。」

「ねえ〜…。どうしたらいいと思う?(笑)」

主治医は私が援助職だから、というか近しい分野で仕事をする人間だから、こうやって自分のケースの相談をしてくることがある。

私がこの病院を紹介した会社の同期も(メンタルやられがち職場)たまに主治医から相談されるみたいで「こないだ私も仕事の相談された(笑)」と二人で笑いあっている。私も同期も、主治医とは持ちつ持たれつだと思っているから、診療時間に主治医から相談されることが嫌なわけじゃないことだけ付け加えておく。因みに主治医は個人情報はしっかり厳守している。


冒頭の患者さんの「なにもない」人生の感覚、その状態を想像して、言葉に表せないけど、自分の「なにもない」の感覚なども引き出したりして、う〜ん苦しいだろうなあ、と思ったし、なにをしたら解決するとかいう簡単な問題じゃないし、そう、その人の人生という、根深い問題なんだよなあ、とただ主治医の話を聞いた。

解決策なんてものはないけれど、その代わりに、最近わたしは『わたしの中にわたしが戻ってきた』よ、という話をした。

「苦しいし全部なくしたい」以外の自分の確固たる考えなんて特になくて、やらなければいけない最低限のことだけをして、社会で生きていかなければいけないことがしんどくて、周りと同じように社会で涼しい顔して生きられないことも辛くて、その時もいろいろ自分なりに考えて思考もしていたけど、それも最終的には苦しさにしか帰結しなくて、ただただ苦しさだけはずっとあって、自分=苦しい存在だったとき。

わたしの中にわたしがいて、いいも悪いもどうでもいいも、なんだかんだ自分で考えて納得して、まあまあぼちぼち生きてるとき。疲れたけど、しんどいけど、まあいいんじゃない、生きてるし、わたしはわたしだし、と思えている今。小学生の時の自分とか、大学受験で目標に向かって努力していた自分とか、そういう時と同じ、わたしがわたしな感覚。幸せも辛いもあるけど、普通にわたしがわたしでいれるから生きていられる。


「お腹が空いたな、とおもったら、冷凍ごはんあっためて納豆ごはんを食べる、くらいのことは普通にできるようになってきました。」と言ったらびっくりされた。「あ、それも出来なかったのか。」と言われた。

それまでは「お腹が空いたな」と思っても、そもそも立てないし、立っても冷蔵庫や引き出しを開ける作業に何故かとても躊躇して出来なかったし、そもそも私いま苦しいし、食べなくても死にはしないし、やっぱりなにもできないし、まあiQOSは吸うんだけど、一瞬で身体回復する点滴とかないかな、だめだ、しんど、と思っているうちに6時間何もせずソファに座っていたりした。

「今までは本当に、止まっちゃっていたんだね」

と主治医はぼそりと受け止めていた。


とりあえずそんなことを主治医と話して、だけど私が回復してくると無理をしがちなことも分かられているから、帰りがけに「あんま、無理しすぎんなよ」と言われた。主治医の言葉は私の心に届いた。

次回は一ヶ月後。

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