「結婚という形に囚われない」ことに囚われていた私がプロポーズした

「お守りね」

といって、自分の名前を書いた婚姻届を彼に渡した私の話。

新型コロナやら雪やらで、お籠りが捗る。リビングに大事そうに立てかけてある「お守り」を見て、それを彼にあげた先日のことを思い出した。


✳︎

私の彼は精神障害を持っている。症状が悪化した時に彼の奥底の苦しさを聞くことが多いのだけれど、私が前述の行動に至ったのも、そんな彼の奥底の不安の一端に触れたのがきっかけだった。

彼は私と付き合う前から精神障害があり、私と付き合ってほどなくして症状が悪化し働けなくなった。私は、そんな彼が体調の波を繰り返している間に学生を卒業し、彼より先に仕事をするようになった。彼が鬱のどん底に行ったり体調が悪化した時に「俺じゃ幸せにできない。別れよう。」と言われたことが何度かあるのだけれど、いかんせん私は、彼という人が心底好きで、その存在に幸せをもらっていたので、毎回頑なにその願いを却下してきた。

今思えば、順調な人生の流れを歩む私の速度に彼が辛い思いを抱えていたこともあったと思う。


そんな彼も、入院したり良い医者と出会ったり、いろいろな苦難を乗り越えて試行錯誤して、体調と相談しながら少しずつステップアップし、このたび就職が決まった。それを境に、彼から私との結婚や子供の話を聞く機会がより増えた。元々、ずっと一緒にいたい気持ちでいるのに変わりはないので世間話みたいに将来の話をすることはあったし何もおかしくないのだけれど、多分、将来の見通しがついたことで彼の中でその意識がより具体的になったのだろうと思う。

そんな最中、彼がめちゃくちゃに体調を崩し、例の如く彼から別れを切り出された。「幸せにできない」と訴える彼。とりあえず落ち着くために入院して事なきを得たのだけれど、彼が私を幸せにできないと思っている想いは私が考えているよりもずっとずっと大きいものなのかなと気づいた。


ということを共通の友人に相談した。

「やっぱり男だったら不安だと思うよ。華の20代の殆どを一緒に過ごしておいて、結婚という形で責任を見せられないのは男としてはいろいろと考えてしまう。俺だったらそう。」


結婚という形の責任。私は婚姻という法律上の契約関係にあまり執着がない。むしろ両親の離婚・再婚を間近に経験し婚姻契約なんてマジでどうでもいいと思っていた。
し、彼と付き合うまでは、友人関係の方が形ある恋人関係より恒久的な上位関係だ、と頑なに信じていた拗らせ女子である。
未だに「彼と別れるという選択肢は常に存在するけれどその選択をする必要がない私」が毎日積み重なっていってる、だけだと思っている、頭でっかちである。


そんな私は、形は何であれ彼と今一緒にいれることが最高アンド至高と考えていたので、別に本当に、長く付き合ってるのに彼からプロポーズされないことが辛いとか結婚できないことが悲しいとか、そんなこと全く思っていなかったのだけど、結婚という正式的な契約が用意されているこの日本で、結婚という帰結を望んでいる彼が、そんな私の呑気な本心を心から理解して安心できるのかと言われると、たしかに結構難しいものがある。

いくら私が本心で「一緒にいれればサイコー!」とか言っていても、結婚適齢期に結婚もせずに待たせてしまっている、己の精神疾患や不安定さのために将来を見せられず悲しい想いをさせているかもしれない、という自責の念に狩られるのは自然なように思う。そして、男がプロポーズして添い遂げるという、この世界線で未だに最もポピュラーな価値観からしたら、彼がその問題に強く責任を感じるのもすごく自然だ。


というか、私はずっと一緒にいれればどんな形でもいいと言ってはいたけれど、それって確実に彼に言葉で伝えていただろうか。彼の中に「結婚」というゴールがあることを暗に感じとり、私が「形に囚われない」ことには、真剣に言及してはこなかった気がする。彼が結婚を語る時に「そうだね〜」とはぐらかす私は、確固たる将来像を彼に見せたことがあるだろうか。どんな形を望むにせよ、私が二人の将来について彼の出方に全権委ねるという完全受け身でいる理由になるだろうか。

私の気持ちを彼にしっかり伝えたことって、ないんじゃないか。もしかして。

図らずも私も、世間一般的な図式に自分たちを当てはめて、彼が結婚しようと言うか・言わないかの二択の中で、勝手に彼に二人分の意思決定を押し付けていたんじゃないか。もしかして。

そして、「形に囚われない」が「結婚という形に囚われない」とほぼイコールになっていたけど、数ある形の中でなんで私はあんなに彼が意識していた「結婚という形」を無視していたんだろう。

思ったよりも、私の中で無意識に「結婚という形だけを是」とすることに対する反骨心が頑固であったことに気づく。

ゼロの自分で彼と同じ目線に立ったら、「結婚という形」で「ずっと一緒にいたい」ことを伝えることが一番の共通言語であることに気づいた。
そして、私はこれまで彼に「自分の気持ち」を伝えることをナアナアにしてきたことに気づいた。


✳︎

ハッ!として、その翌日に役所で婚姻届をもらった。謎の行動力よ。そして、我が家に帰ってきた彼に「お守り」を渡したところで冒頭に戻る。

準備もクソもなかったので、本籍も何も分からずに、ただただ私の名前が書いてある婚姻届。

「これが私の気持ちです。」

そんなことをゴモゴモ言って、「形」がどうのとか言い訳みたいな持論を並べ立てて渡した気がするので、こんな調子なら今までの自分の気持ちも多分上手く伝えられてなかったんだろう。私って口語コミュニケーションが苦手なんだ、文章だったら、結構得意なんだけど。

「なんだよ。逆プロポーズじゃん」

「情けないなあ。でもめっちゃ嬉しい。めっちゃ伝わったわ。」


プロポーズに「逆」もクソもあるか、とか、やっぱり男としてのプライドを持った彼からしたらこの形はどうだったんだろう、とか、いろいろ考えたけど。「めっちゃ伝わった」。これに勝るものは無いので、まあオッケーじゃなかろうか。

結婚という形に囚われないという私の気持ちも、結婚が全てじゃないという契約制度への反抗心も、彼と一緒にいたいことを彼に伝わるように伝えたい、という気持ちと比べてみたら、思ったよりどうでもよかったのである。私にとっては。


ただ、今回のこれはあくまで私の決意表明であって、彼が「プロポーズ」するのはまた別の話のようなので、それはそれで楽しみに待っていようと思います。

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