2/8 診察のあとの日記
今日は病院だった。という日記を書こうとしたはいいけれど、なんだか頭がぼりやりしたまま何も浮かばない。例の如く診察終わりに駅の近くのドトールに行ったら、喫煙席がブース内喫煙型に変わっていた。時代だ。
家に帰ったら微熱があった。最近夕方になるといつもこうだ。それを言い忘れた、と思い出した。今日の診察は前々回だかに仕込まれた、文章を完成させて自分を投影する心理検査(SCT)の結果だった。「失敗や断られるのが苦手」とか、「自信がない」とか、そういう部分に触れられた。最近自分でもなんとなく言葉にしてきたことだったから、答え合わせみたいだった。テストの文章を見た主治医から「お母さんに『産まなきゃ良かった』って言ったんだ。言うねえ」と言われて、確かに母からすれば我が子からトンデモないこと言われたな、と冷静に少しごめんねと思った。
自信がない、いつも周りに言うには憚られる苦しいことばかりで頭がいっぱいで、心の内を見せて認められた経験がほぼない、私は誰にも自分自身を認めらない、というコンプレックス。あの子やあの子は、仮面なんてなくて、お互いに何でも話せて楽しそう、と。「でも」と主治医は言う。「別にみんなそんなに全部言ってるわけじゃないよ。場面や人やモノで使い分けている。」と。
まあ、その通りだと思う。だけど今までの私は全部全部押し込めて、「苦しい」を伝える場面や人やモノを探し出せなかったんだ。今こうして、自分全開で自分の苦しいを含めて言葉にできるココを見つけたからこそ思う。
「あなたはいるだけであなただ。頑張っているし、その存在だけですごいんだ。そんなあなたをあなた自身が認めてあげられるといいね。」
主治医はいつもこう言ってくれる。私はその度に泣く。そこが足りてないんだなと思う。医者もそう思ってる。でもすぐに自分で自分を認めるには今までの癖が邪魔をする。だから二週間に一回、この言葉をかけてもらうことは、今の私にとってとても大事だ。
主治医からの「今は弱ってる」という総評。どれだけ心身に影響が出て仕事に支障が出ていても、「もっと頑張れない自分のせい」という思考に、すーっ、と持ってかれてしまうから、外からそう言ってもらうと、変な話だが安心する。無理せず。休んで。できることをやろう。できないことはできない。そんな自分も認めよう。無理せず。