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もう一度みかんを煮たいけれど|2020.5.18 日記
自分に時間を使って、キラキラした気持ちがふつふつとわいてきた大型連休も終わり、仕事が始まったと思ったら、早くも在宅勤務が縮小された。
やらなきゃいけないことをやらなきゃいけない日々に、気持ちと身体は若干置いてかれている。
冷蔵庫に夏みかんが1つ、残っている。
連休前は3つあって、そのうちの1つは連休中に砂糖で煮た。マーマレードにしようと思ったけど少なすぎて汁が出ず、干してオレンジピールにしようかと思ったけど干し上がるのを待てず、いい塩梅で甘くなっただけのなにかができた。名前はない。クリームチーズと一緒にパンに乗せたら最強。間違いない。
もう1つは、先週末にウイスキーに漬けた。氷砂糖を入れすぎて甘すぎたかもしれない。出来上がるのが楽しみだ。下戸だけど。
✳︎
日曜日の朝、薬を飲むとき、ふと、ちゃんと元気になりたいなと思った。
本当に調子の悪い時は暗黒の自分に酔うかの如く、調子が悪いことを骨の髄まで味わい尽くそうとする節があるので、ささやかな進歩だ。
暗黒の自分にすがりつく気持ちが薄れている。
私の主治医はいつも次回の診察日を患者に委ねるので、だいたい2週間おきに診察をお願いしていたのだけど、今度は3週間後にしてもらった。ただ2週間おきが面倒になっただけなので理由は後付けだけど、今は自分で自分に向き合いたいと思う。
さて。ちょっと落ち着いたと思ったら、見計らったかのようにボコボコと問題が起きるから不思議だ。
家族が問題を起こすのはもう慣れっこだけど、そうは言っても揺さぶられるのは否めない。
雨の季節が始まって、耳が詰まるし頭は痛いし、湿気のせいか息がしづらい。それでもなんとか、ぼちぼちふつうに、生きている。
ぼちぼちふつうに生きているということ自体に迷いを持たないで過ごせているのは、いつぶりだろうか。
身体が苦しい、心が苦しい、全部手放したい、ということをあまり考えずに過ごせている。
最近の私は、なんといっても、暮らしの中にささやかに愛でられるものが増えた。
料理になれなかった野菜たちは、相変わらず台所の片隅に緑を添えてくれている。じゃがいもの芽は母にアスパラと見間違えられるくらい立派な茎が伸びてきた。最近仲間入りした人参の頭は、かわいい葉っぱをつけてきた。
瓶につめた夏みかんと氷砂糖とウイスキーは、冷蔵庫の中でキラキラしている。瓶に詰めるとなんでもいい感じに見える。
持て余した大根で作っているピクルスの瓶もいい味を出している。黄金色の液体の中に、白い大根と赤い唐辛子がつまっている。最強の配色。
最近は残業が続いて、定期食品宅配の野菜がなかなか使い切れなかったりする。残った野菜は、時間のあるときに、塩漬けにしたり味噌漬けにしたり。冷蔵庫を開けるとシンプルな保存食が鎮座しているのは安心する。
樹木希林が「最後までものを使い切る」『始末』する生き方をしていたのを知って、いいなあと思った(『一切なりゆき』樹木希林)。それを知ってから、手を抜きながら出来る範囲で、野菜を使っている。野菜の端っこを水に浸けて育てているのも、私なりの「使い切り」のひとつかもしれない。今じゃ、なんでもかんでも水に浸けて、芽が出てくるのを待っている。
また定期食品宅配で夏みかんが送られてきた。せっかくいっぱい使ったのに、2つになった。今度はなににしよう。皮を千切りするのは骨が折れることを知ってしまったのでマーマレードは却下だ。氷砂糖が余っているので、砂糖漬けなんて、いいかもしれない。