藤の蜜蜂
5月の風が、高いところを過ぎて行く。
目の前の水面に照りつける、お天道様の煌めき。
その下をタガメが泳いで行く。
気楽なもんだなぁ…
セツは痛くなった首を少し上に向けた。
水の煌めき、泥、タガメ、カエル、
そして、恐ろしいほど澄んだ青。
セツの視線に映るものはずっと変わらない。
ここは静かだ、家族の声も蛙の声もすごく喧しいのに、
ここはとても静かだ、と思った。
指先を泥の中に突っ込んで、苗をさす。
もう意識しないほど体に染み込んだその動作。
手元に吹く風が、日光にあたった温かいものから、森の冷気を含んだ夕方のそれになるまで、
セツが顔を上げることはなかった。
***
あくる日も、セツはまた、泥水の表に顔を向かい合わせて腰を曲げる。
手が忙しなく動く、その間断に二本の足がそろそろと後ろに進む。
顔は上がらない。
腰の曲がりも伸びることはない。
セツは水面に映る自身の顔をぼんやり見ながら、先ほど横を通った藤の花のことを思っていた。
あんな大きな花の粒…
強い藤の香りの中を、ぶぶぶ、ぶぶぶ、と蜜蜂が飛び交っていた。
芳しいその香りに誘われて、
彼らもまた、死ぬまで働くのだ。
そう思った。
ぶぶぶ、ぶぶぶ
その鈍い羽音はまるで自分たちにぴったりで、5月の陽気にじっとりと沈む昼日中、
セツの耳の奥ではずっと
ぶぶぶ、ぶぶぶ
という音が鳴っていた。
働いて働いて、
藤の花の下で死ぬがいい。
おらはおんなじ様に、泥の上で死ぬからよ。