早送りボタンがあったらなあ。
七月になった。
カレンダーをめくった。
愛犬と過ごした日々がどんどん遠くなっていく。
だけど遠くなっていかないのも辛い。時間が流れず、ずっと愛犬が逝った日の翌日で時が止まってしまったら、きっと生きていかれないだろう。
辛いことが起きるたびに、早送りボタンがあったらなあとおもう。五年ぐらい早送りできたら、きっといろんな気持ちが整理されているだろう。そこまでの、炎天下をじりじりと歩くような時間はいつも辛い。
たくさんの家族を見送って来たから、喪失感も、そしてゆっくりとしか進まない記憶と感情の整理も、自分がこれから生きていくために必要な喪の作業だということは重々わかっているけど、こればかりは何度やっても慣れない。
時間は流れるから良いのだろう。流れるから人は生きていけるのだ。容赦なく流れてくる新しい時間に想いを移しながら、一日一日をやり過ごすことができるのだろう。
その証拠にというか、今日で娘が独立して一年が経った。先週末は息子とパートナーの彼女と私たち夫婦の四人で、ロシア料理を食べにでかけた。愛犬との別れを悲しみながらも、ちゃんと日常のささやかな幸福に身を置いているのもわたしなのだ。
*写真は最近始めた羊毛フェルト
一作目は娘のところにもらわれていくことになった。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?