記憶を辿って、時々追憶の溜息を吐く事は、好い事だとはお思いになりませんか。私に取っては、追憶は人生の清涼剤です。追憶の溜息は、この清涼剤によって外へ洩らされる物です。 (花束/尾崎 翠)
旅に出られない今、過去の旅を写真とともに振り返って懐かしむシリーズ。 今回はタリンの旧市街。 西はバルト海、北はフィンランド湾に面し、バルト三国のなかで最北に位置するエストニア。 エストニアは、1991年まで旧ソビエト連邦の一部だったので、元社会主義国というイメージが強いが、現在はIT大国である。あのSkypeが開発されたのも実はエストニアの首都タリンで、「バルト海のシリコンバレー」なんて呼ばれもある。エストニアは、ITを行政に積極的に取り入れたり、他国のIT企業の進
友人と他愛もない話をしていて、ふと、「思い出せる限りで、一番古い記憶ってなに?」と聞かれたことがあった。一番古い記憶…。頭の中で、自分がまだ小さく柔らかかった頃の記憶をぼんやりと探ろうとする。すると、こちらを見つめる、幼かった頃の自分の姿が浮かび上がってくる。そして、あれ、これは私の眼を通してみた風景ではないな、と気づく。自分の姿は、目の前に鏡がない限り、自分の眼を通して見えるはずがない。つまり、私の眼から離れた、別アングルのレンズを通して捉えられた私。私の眼を通して頭の中
小さいときに大事にしているぬいぐるみがあって、いつも肌身離さずもちあるいていた、なんて方は少なくないのでは。
先日、古本屋である本を手にとってパラパラと立ち読みしていたとき、ページの端のほうに、はしり書きで本の内容とはまったく関係のない言葉がいくつか記されているのをみつけた。
ポケットにすっぽり収まるサイズの小型のカメラは旅先で重宝する。スマホでも、今ではかなり画質も良く綺麗に撮れて手軽なのはわかっているが、特別な写真は、写真を撮るという行為のためだけの「カメラ」で撮りたい。という何ともめんどくさいこだわりがある。
私が蚤の市というものにハマったのは、大学生の頃、留学でドイツに滞在していたとき。
孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。(砂の女/安部公房)
この間、実家の部屋を片付けていたら、古い切手のコレクションの箱がでてきた。
なかなか梅雨が明けなくて、気持ちまでじめじめしてきちゃいそうな今日この頃。頭から茸が生えたりなんかしたら、ああちょっと湿っぽくなっちゃてきてるな、なんてわかりやすいのだけれども。雨の日は嫌いなわけではないけれど、あんまり雨や曇りばかり続くと、太陽が恋しくなる。太陽はありがたいもの、として昔からいろんな地域で崇められてきた所以をひしひしと感じる。
ヨゼフ・スデクの撮る、モノクロの静物写真が好きだ。 彼の眼は、日常に溢れる平凡なもののなかに詩的な美しさを見出す。
コロナによる外出自粛要請のせいで、家で過ごさなくてはいけない時間が増えることがストレスだ、と先日友人が話していた。彼女は健康のためにヨガマットを購入したらしく、意識的に運動を心がけていてえらいな、と感心する。わたしはヨガだとベッドでゴロゴロ屍のポーズが得意である。 私はもともと、ひとりの時間が好きで、家でじっとしていることがあまり苦にはならないタイプなので、外出自粛要請が出ていようがいまいが通常通りである。休日はたいてい不要不急の外出は避けている。特に予定の入っていない日