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私がなぜFi劣勢になったのかを考える

私の心理機能グラフ

※一度消してしまったため再投稿です

Fi劣勢とは…
「無感情」「薄情」「感受性0」「冷酷」
このあたりのワードで形容されるだろうか。

noteにはFi優勢の人たちの方が大多数である。
Fi劣勢の人間がなぜそうなったのかを考える時、彼らにとってはもしかすると全く違った人生観なのかもしれない。
あくまでもサンプルが私での話なので
「こうなってFi劣勢の人間がひとり生まれたらしい」であり、「人はこう育てられるとFi劣勢になる」とはノットイコールなので、そういう目線で楽しんでいただければ…!

世の中には決着のつかない一つの議論がある。それは【幼少期に制限されたことは大人になってから爆発するか否か】である。
つまりこうだ。【幼少期から制限されてきたからこそ別にそれを必要とせずに大人になった】というパターンが実は少なくないのではないかということである。

たとえば私で言うと、幼少期からテレビゲームやDSにはじまりWiiなど、ゲームというゲームはすべて禁止される家庭に育ったが、別に今大人になって買えるようになってもそれがほしいとはさほど思っていない。
高校の時のオーストラリア人の英語の先生はベジタリアンだったが、子どもの頃から肉を食べたことがないので今大人になっても食べたいと思わないと言っていたことを思い出す。
このように、昔からそれが与えられないor制限されることが当たり前の環境に育つと、大人になってもそもそもそれを欲さずに生活するようになるということがある。

しかしもちろん制限されたがために、制限が解除されてから爆発するパターンも存在する。
私は中学卒業まで携帯を持たせてもらえない家庭だったのだが、高校に入ってそれが使えるようになると成績がガクンとさがった。もちろん成績低下の理由はそれだけではなかっただろうが、周りがみんな携帯を持っていた頃に持たせてもらえず、さらにはその後コントロールの仕方を知らない状態で与えられてしまうと、当時はもはや中毒のようになっていたと思う。

実は一見異なったこの2パターンの根幹は同じなのではないだろうか。
つまり、それぞれ心の奥の深いところではそれを欲してやまないという部分が少なからずあり、それが目に見える形で爆発するかしないかというだけなのではないかと思う。

人の劣勢機能は必ず優勢機能の裏にある性質であり、劣勢機能から身を守るためにその優勢機能が発達したとも言えるだろう。

爆発しなければ発散できなかった強い欲求も、爆発しなくても済むように他の機能を強めることで自分を守る行動を自然と身につけるというのも、表裏一体ではないだろうか。

さて、私がなぜFi劣勢であるのかをひとことで言うと
「心や愛なんてものは必要がない」
と考えているからなんですね。

しかし思い出してください。これは隠れた欲求です。つまり本当はこうなんです。
「もっと私を愛してよ」
はぁ、、、なんて自分に似合わないセリフなんでしょう。書きながら自分でも自分に吐きそうな気分です。

私がこうなってしまった経緯はどう考えても家族のせいである。

母は厳しくて私のことばかり叱るし、父は仕事で忙しくほとんど会うことがなく遊んだ記憶もほとんどなく、弟は自由奔放で好きなことをやっていて両親にほとんど怒られない

私から見た私の家族の構図はいつもこうだった。

私は学校でも習い事でもそこそこに優秀な成績で表彰されていたし、全く同じ時期から同じ習い事をやっていた1歳差の弟に負けたことはなかった。

それなのに親の言うことを聞かず好き勝手に生きる弟よりも、親の言う通りにレールに沿って生きているはずの私ばかりが叱られるのだ。

そんな中で世の中だけは私を評価してくれた。それがなんらかの受賞であったり、成績という目に見える数字であったりしたのだ。
しかし私はなんのためにその成績を獲得したのかと言われると、もちろん本当は親に喜んでほしかったからだ。

中学校になって最初の定期テスト。
テストがはじまる2週間も前から毎日4時間くらい勉強して、挑んだはじめての中間テスト。
手応えはバッチリだった。答えられない問題はなかったし、見直しも2周はした。
結構点数良かったんじゃないかな。
うきうきした気分でテストを終え、塾で自己採点をし、塾の先生からもこれは学年トップを狙える点数だぞと言われた。
しかし、母に意気揚々と、もしかしたら1位とれちゃうかも!と話したところ、母はすぐさまこう言ったのだ。
「いやいや1位なんて無理無理!さすがにねぇ。まぁあんまり期待しないでおきなさいよ。」

私は悔しかった。
ほめてもらえると思って頑張ったのに、と。

ちなみにテストの結果は学年1位だったのだが、私はただ一緒に喜んでほしかった。

そう、母は私をほめない人間だった。
何かをやっても母は私を褒めることはかなり珍しく、ほとんどないと言っても過言ではなかった。

小学校の高学年ごろのことだっただろうか。
母が私のことをママ友に聞かれて何かを話していたのを横にいてたまたま聞いたことがあった。
そのとき、それまで話していたその文脈はわからなかったが、はっきりと覚えている母の発言がある。

「うちではこの子、あんま褒められへんから笑 ねぇ〜◯◯(私)」

衝撃的だった。
私は当時すでにこれまで自分があまり褒められてきていないことには薄々気がついていたが、それは私が卑屈に考えすぎなだけで、実はちゃんと褒められていたり評価してくれているのにそうと思えないということが自分のよくないところなんだと思っていたからだ。いや、思うようにしようと心掛けていた、というのが正しいだろうか。我ながら10歳前後にしては実に達観している。

しかしこの発言から見るに、この母は自覚的にそれをやっているし、それを平気で人に話すくらい大したことだと思っていないのだと知った時、私は非常にショックを受けたのだ。

余談だが私が幼い頃からこの達観さを身につけていたのも、これも母の発言によるところがあるのではないかと思う。
ある時これまた別のママ友に母が話していたことを聞いたことをよく覚えているのだが、「上の子って何やってあげても『わたしだけやってもらってない』って思いがちよね〜」みたいな話をしていたのを聞いたことがあった。
それを聞いて、そうなのかこれは私の勘違いで思い込みなのかと思ったわけだが、今考えてみると褒めることはしないのに下げることはするのだから(しかも本人が聞いてるところで)ひねくれたって仕方ないんじゃないだろうか。まぁ対外的に身内褒めをしないというのは日本文化のひとつなのかもしれないが。

また、何かと叱られがちだったのは弟よりも私の方だったが(まぁこれも上の子にありがちなことだとは思うが)
その叱り方もFi劣勢を加速させたのではないかと思う。

「どう思うのか」と聞かれることに対して何かを言うと「それは言い訳だ」とか「話を逸らすな」とか言われるので、小学校後半の時点ですでに、もうこの人には何も話すまいとだんまりを決め込むことに決めた。まぁそれはそれで「黙ってないで何か言いなさいよ」「黙ってたら話が終わるとでも思ってるのか」と言われるのだからどうしようもなかったのだが。
何を言っても否定されるのだから、だったら何も言わないで怒られる方が心底マシだと思ったのだ。

こういったことが度重なるといつの日か思うようになったことはこうだ。
「私は親に愛されていない」
「自分の気持ちを話しても無駄」

その結果、世の中の価値あると言われるものを利用することで、世の中からの評価を得ることで、自分を保つという方法を取るようになったのだと思う。
【私がどう思うか、何がほしいかなんて、重要なことではない。社会は何を求めていて、私はその中でどんな方法で、評価を獲得するかが大切だ】Te優勢/Fi劣勢人間の完成である。

ちなみに親の体面のために言うと、もちろん親は親なりに私を愛してくれていたのだと思っているし、その愛し方と私の愛の受け取り方がマッチしていなかったにすぎないとは思っている。

シングルマザーは子どもの将来のために身を粉にして働き詰めなのに、子どもはそんなことより親と話したり近くにいて欲しいと思うというようなことがあるが、愛にはいろいろな形があるし、自分の提供している愛が、必ずしも相手が受け取れる形の愛ではないと思う。

話を戻すと、私がどんな社会的評価を得ても、結局は親の愛の代わりになるものはなく、本当はそれを受けたかったのだろうと自分を俯瞰することも何度かあった。

学習に優位な機能であるSiが比較的育ったのは、幼い頃にゲームを禁止されたことや小学生の時点から週3頻度で塾に通わせてもらえたことが大きかったと思うし、それは本当にありがたかったと思う。

今思えばこの状態で勉強もできなかったらFi劣勢として社会を生きるための他機能がうまく育たずに大人になったのかもしれない。まぁそれはそれで別の機能が育っていたのかもしれないが。

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