ゼネレーションギャップ
平成は31年まであった。だから30歳前後の若者が世の中を動かしつつある。彼らにとっては、昭和世代は理解し難い存在かも知れない。とはいえ彼らの親世代は、昭和生まれなのだから…と思うのだが。
私たち昭和世代が大正、明治時代生まれの方々に対して抱いていた感覚や思いとは些か違うようである。それはやはり時代の教育であろうと思う。目上の方から叱られた時、子供ながらに理不尽に思えても、何か自分たちが叱られるようなことをしたから、注意を受けたのだと親からも諭されて来た。しかし平成生まれの世代は世情が異なる。例えば学校で叱られると、教師側に問題があったのではないかと突かれる。無かったとしても、叱り方や言い方に問題が無かったかを問われる。だから教師側も面倒に思うようになり、問題を見て見ぬふりをすることが常態化して問題が肥大化して明らかになった時に、大問題になる。そうした悪循環を断つ必要性があるように思うのだが、それが何故か出来ない。所謂、モンスターペアレントであったり、世情に通じた子供がこうしたシステムを利用しているからだと私は思う。
だが彼らだけが問題視されるのは違うとも思っている。つまり平成生まれの親世代は私たちであったり、またケースによっては私たちの子どもであることもあるからである。自身が受けて来た教育を正当化するつもりはないが、“子ども”に対する考えが異なってきたのは事実だろう。生まれた時から物に溢れている時代で育ち、少子化の折、大切にされている環境は理解できる。でも何か大切なことを昭和に置き忘れてきてしまったのではないか?と思っている。それは誰にも共通するものではないかも知れないが、それに気付く日もそう遠くないと密かに思っている。
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