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誰かの、何かのせいにして生きるのを、そろそろやめてみる

日本に帰国していろんな人と話して気づいたこと。

それは「不幸に陥っている」理由として、「運の悪さ」を語る人があまりに多いことです。

「自分は氷河期世代で苦労しているから」
「親に私立に行かせてもらえなかった」
「苦労したから、無駄遣いがやめられない」
「毒親だったから、人間関係がうまくいかない」
「いじめのせいで、人が怖い」

こんな感じのナラティブをスラスラと話す人々が多いんだな。

きっと確かにその通りで、運のいい悪いは実際にあると思うんですよ。特に最初の家族はもうどうにもならない。

しかし、発展途上国で比較的格差の大きなマレーシアよりも、豊かな日本の方に運の悪い話が溢れすぎていて。

親がちゃに外れた
いじめられた
氷河期世代だった
貧乏な家庭だった
会社がブラックだった
夫が暴力を振るった
パワハラをされた
子どもに病気があった
女性として苦労した


みたいな、ナラティブを語る人が多いなーと肌感で感じてしまうのです。

教育学者のアドラーは「トラウマ」を否定しました。
しかし、最近は暴力の物理的な脳への影響も言われていて、実際にはトラウマは、あるんじゃないかな、と個人的には思っている。

ただね。

過去の理由が今の不幸の原因なら、そのストーリーから抜ける自由もまた、あると思うのです。

40代になって、いまだに「就職時の社会状況の運の悪さ」を引きずっている人がいるけれど、一流企業に入ったところで、すぐに転職した人、途中で辞めた人は山ほどいると思うのです。私もその一人です。

「ガチャ」や不幸を目的にする人

トラウマがあれば、変わらなくて済みます。

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