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なぜ私たちは「天才」を待ち望んでしまうのか
近藤弥生子さんの新刊「心を守りチーム力を高める EQリーダーシップ」に非常に興味深い一文がありました。台湾でのEQの重要性について、台湾在住のジル・チャン氏の協力をえて解き明かした本です。
ライターとして、台湾のオードリー・タンさんの書籍を刊行してきた近藤さんは、日本でのオードリー・タンさんの枕詞が「IQ」だったことに疑問を呈しています。
そこでとても不思議だったのが、日本の雑誌やテレビ、ラジオたちがそろって「IQ180の天才大臣」という枕詞をつけて報じていたことです。
近藤さんは、この枕詞を変更させようと頑張ります。
しかし、うまくいかなかったそうです。
交渉が成功しないのは、ひとえに私自身の力不足だと思いながらも、当時の一連の経験で「日本人にとっては、IQの高さや『天才』と言うパワーワードが圧倒的な吸引力を持つのかもしれない」という仮説が私の中に生まれました。
メディア側からすると、多分、これだけメディアに携わる人が増え、世の中に強い言葉があふれてしまうと、地味な言葉、誠実な言葉は埋もれてしまいます。
「クリックしてもらえない」んですね。
最近になって、学術書のような本が売れなくなったのも、同じ流れかな、と。
スーパーヒーローを求める人々が多いこと
近藤さんは、こう分析します。
これは私自身の考えですが、日本はいつも常人離れした高い能力を持つヒーローやリーダーの登場を待っていて、自分自身はその優秀なフォロワーでありたいと考える人が多いような気がします。
私も同じ仮説を持っています。
日本に帰って思うのは、「なんだかすごい人」を崇める傾向が強いこと。
メディアの大衆化とともにこの傾向がさらに加速しています。
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