見出し画像

なぜ人は、「クソリプ」をしてしまうのか

今話題の誹謗中傷について、先日こんな記事を書きました。

これを書いた時点では、「私は誹謗中傷どころか、クソリプすらもしたことないし……本名でしかネットやらないしな。まあ大丈夫かな」と思ってたんですね。批評と誹謗中傷は違うしな、とも。

その時点では。

みんな「クソリプ」を書いている

けどですね、林伸次さんのこのcakesの記事を読んで、衝撃を受けました。

少し、引用します。

こういう「自分は傷つけている気持ちはないけど、実はひどく傷つけている」という投稿、世の中にはたくさんあります。

例えば、あなたはかつて、「このアーティストのアルバム、いつも好きなんだけど、今回の新譜はイマイチだな。こういう音使い、ダサいな」って感じのツイートってしたことないですか? ブログとかで、ある音楽シーンのことを書いていて、「このボーカリストは歌は下手だけど、」みたいなことって書いたことないですか? あるいは「あの作品は駄作だったけど、今回のはまあ読めた方かな。絵もうまくなってきた」って感じでマンガや小説について書いたことないですか?

僕、たくさん本を出しているのですが、そういう感じで僕の文章とか才能とかセンスを、ズタズタに悪くコメントされることって、当たり前ですがたまにあるんですね。もうとにかく落ち込むんです。

しかも見出しが、「全人類がクソリプから逃げられない」。
パワーワードすぎました。

やってますね私。
クソリプたくさん書いてる……。

「この映画はイマイチ」「マクドナルドは嫌い」「モーツァルトは嫌い」「Yesは70年代は良かったけど、今のはちょっとね」「この演奏は稚拙だった」

言ってる、言ってる。昨日も言った。「この映画は構成はいいのに演技がイマイチ」とかね。

そうなんです。感想のつもりで、なんとなく投稿したその言葉、すごくお店側の人は落ち込んでいます。傷ついています。僕は同業者からしょっちゅう聞くのですが、もう腹わた煮えくり返っていることが多いです。
でも、もちろんそれらの言葉を投稿した人は、そんな風に当人たちを傷つけようとは思っていないですよね。お金を払ってライブを見たり、本を買ったり、食事をした上での「感想」だから、そういう発言、当然と思っていますよね。まさかその言葉が、アーティストやシェフを傷つけているとは思っていないですよね。

すみません。
半分くらい「見栄」で言ってるのかもしれません。
カッコ付けて批評家ぶってたよね。

食べ物をなんでもかんでも「美味しい」と喜んでると、「あなたの舌はおかしい」「舌が肥えてないのね」とか言われたりするって経験、あると思います。ちょっと斜に構えた意見を言うのが「カッコいい」んですよね。

思えば、何もわかってない若い頃の方がさらに言ってました。
そうやって自分を大きく見せようとしたんですね。

批評するとき・しないとき

そうは言っても、マレーシアに来てから、この態度が自分でもかなり減りました。
「なんでかな」って思ったんです。

多分ですが、マレーシアのサービスはたいていの場合、「相手の顔」が見えます。不動産屋さんも、保険屋さんも、有名ホテルも、有名なタレントも、ジムのトレーナーも、よく行く屋台も、思い出すのは「スタッフの顔」であり「家族」であったりする(マレーシアではいろんなサービスが個人的な付き合いになることが多いです)。

相手の顔が見えてる限り、それは「普通の人間関係」に限りなく近くなります。GrabやAirBNBでも「星」は5つしか付けたことがない。それは多分やっぱり、相手の顔が見えてるから。

日本でも東京・下町に住んでたので、近所の人がやっている店や、サービスについては、評論家ぶってあれこれ言うことは少なかった……。だってまあ、みんな仲間じゃないですか。

Yahoo! オークションで個人取引するとき、星5つ以外、付けたことは記憶にない気がします。

で、自分が遠慮なく批判・批評するのはどんな時だろう? って考えてみたんです。

「顔が見えない」「声が聞こえない」「プロだから気にしないだろう」と思い込んでる場合です。アマオケ仲間の演奏は酷評しないけど、NHK交響楽団には偉そーに批評してたりしてた!

ところが、ほとんどのサービスの裏には生身の人間がいて、傷ついてる、ってことを、林さんのcakesは教えてくれました。

どんなプロも批評に苦しんでた

そういえば、大作曲家ってみんな批評家に苦しめられてるんです。

ブルックナーはたまりかねてオーストラリア皇帝に「私の悪口を新聞に書かせるのをやめてください」って言ったそうです。ワグナーも批評家のハンスリックに嫌われて、仕返しにオペラの悪役に「ハンスリック」という名前をつけたほどです(後で変更しました)。
(出典 長島 喜一郎「プログラム・マガジン」2017年4・5・6月号掲載)

漫画の神様と言われた手塚治虫も読者の批評によく傷ついてたと言います。
大物になればなるほど、みんな遠慮がなくなるんでしょう。
私ももう亡くなってるからいいかなって思ってましたが、そういう問題でもないのでした。

全員、生身の人間だ

もちろん、感想を書くことは悪いとは言い切れないと思います。作品に批評が入るのは当然だと思う。それに、人って共通の敵がいることで仲良くなれる場面もあります。

相手を傷つけずに批判するって難しい。
多分最低限のリスペクトは必要なんだと思います。
最もいいのは、気に入らないもの、好きでないものに対しては、「何も言わないこと」なんだろうなぁ。

長男にも意見を聞いてみました。

「自分の中での悪者をどう扱うかって問題だと思うよ。自分がロクでもないと思う人へのリスペクトーー例えば歴史上の悪役とかね。批判はしてもいいけど、その人にしかわからない複雑な体験が背景にあるだろうこと。その上での、尊敬を忘れないってことじゃないかな……」

非常に極端な例が出てきてドキッとしましたが(あまり極端すぎるので後から変更しました)、ただ、どんなに大きく見えるアーティストや企業でも、実はその向こうには生身の人間がいて、私には見えない生活してるってことを、忘れたらいかんなーと思いました。

それではまた。

ここから先は

0字

世界から学びたい人へ。日本でも役立つ教育・語学・社会の最新情報をお届けします。掲示板で他のメンバーと…

世界から学ぶ メンバーシップ

¥1,200 / 月

これまで数百件を超えるサポート、ありがとうございました。今は500円のマガジンの定期購読者が750人を超えました。お気持ちだけで嬉しいです。文章を読んで元気になっていただければ。