「12人の怒れる男」で学べる批判的思考能力のお話
こんにちは。
世の中のSNSには「正義感の強い人々」が溢れていて、次から次に疑わしきものを罰しています。
犯罪が起きると犯人に対して一気に断罪を始める図は、もうインターネットではお馴染みになってしまいました。
親の育て方が悪かったに違いない、
高卒だからダメなんだ。
無職だから、悪い奴。
独身だからダメだ。
精神病院への通院歴があるから。
Etc etc。
これね、私もやってしまうんです。
なぜかというと「わからない」ことが、不安だからです。
しかし、わずか数十行の情報で、急に結論に飛びつくのはやはり危険だと思うのですね。
批判的思考能力がないと、つい結論に飛びついてしまう。
周りの意見に流されてしまう。
今日はそんな「批判的思考力」のお話です。
「本当にそうかな」と考える力
最近、家族で映画を見る習慣を再開しました。
と言っても、子どもが家を出たので、もう夫と二人だけです。
夜、時間があるときに、順番に映画を選んで、Uberなどを頼んでのんびりやってます。
これまでに4本見ました。
で、最初に見たのが1950年代の「12人の怒れる男」。
有名な映画なので見た方多いのでは。
殺人事件の裁判での陪審員の話です。
証拠や証言は被告人に圧倒的に不利。陪審員のうち11人が、少年の有罪を主張しています。
しかし、有罪判決には、全陪審員が一致する必要があります。ちなみに、有罪となると死刑が確定します。
そんななか、8番の陪審員(ヘンリー・フォンダ)だけが、「まだ、わからない」と主張するのです。
「無罪だと思うか?」「いや、わからないが、もう少し議論した方がいいのではないか。まだ十分に議論がされていない。さもなくば、あの少年は死刑になる」と。
周りは大反対です。
「あいつが悪いに決まってる。俺はああいう不良少年を見てきた」
「スラムに住んでるやつはどうしようもないんだ」
「目撃者だっているじゃないか」
と、男性たちが怒るなか、1つ1つの証拠を丹念に洗い直してみることを、8番の陪審員は要求するのです。
そして、1つひとつの事実の検証が半ばイヤイヤな形で始まります。当然ながら、陪審員たちはさっさと議論を終わらせて自分の生活に戻りたいのです。
それを面倒くさがらずに一つ一つ「本当にそうかな」と考える。
最初から最後まで、1つの部屋で12人の議論が中心という映画です。
この「批判的思考」の重要性を訴えたドラマだと私は思いました。
多様性がなぜ重要か
もう1つが多様性の重要さです。
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