親の資格ってなんだろう
こんにちは! 今日は短いコラムです。
先日、映画「アイ・アム・サム」を見ました。
「良い親とは?」がテーマです。
知的障害を持つ主人公サムは、女の子を育てています。
彼女が7歳になり、主人公の知能を追い抜いてしまう。
子育てする資格が彼にあるか? と周りは心配するのです。
子供はいつか親を追い抜く
女の子が小学校に入った途端、サムは勉強を教えたり、教科書を読んであげたりができなくなります。
これ、まさにマレーシアでの初期の我が家の親子の姿、そのものでした。
7歳だった息子。しかし、私は、教科書を音読してあげることも、基礎のフォニックス(英語の発音方法)などを教えることも、できなくなりました。
私の当時の英語力、ネイティブの2、3歳児程度です。
いやもっと低かったと思う。
幼児の絵本程度でも音読できない。最初にマレーシアの小学校でやるフォニックスも知らない。英語圏で習う「古代ローマの歴史」「インドの地理」など、私には知らないことも多すぎた。
「一緒に調べてみよう」はできても、先生のように「教える」はできないのです。
10歳くらいになると、息子は親の知能もすでに追い抜いてしまいました。英語の教科書はいきなり難解になり、教えることは完全に不可能になりました。
追い抜かれた親はどうすべきなのか
15歳になった今、彼はフラクタルや微積分など数学の話題をしますが、夫も私も理解できません。紙を使って、一生懸命に教えてくれるのですが、なかなか理解には至らないのです。数学の授業を受けてる感じです。
同様に彼が愛するプログラミング言語(Python, Javascript, C#など)をよく解説してくれる。
「親の資格があるか」を裁判で争うなか、サムはこういいます。
良い親とは、変わらないこと(constancy)
忍耐があること(patience)
話を聞くこと(listening)
話を聞いてるフリ(pretending to listen)をすること
愛すること(love)
これ聞いて、本当そうだなーと思いました。
同時に、すごく反省しました。
息子はいまだに「見て、見て」とやってきます。
私は「どうせお母さんわかんないから」と言って、見なかったことが何度もあります。
そっか。「わからないことがあっても聞いてるフリをすること」か。
コーチングとはちょっと違うけど、本人が前に進むためにはやっぱり「共感」が必要なのかもしれません。
私もいつまでも数学や物理が苦手だとか言ってないで、少しでもわかる努力をしよう、とちょっと思いました。
こうして親子で一緒にいられるのもあと少しなので。
ちなみに、息子は上記のサムのセリフには全面的に同意だそうです。さらに、こんな感想を言ってました。
「子供より賢い人が子育てすべきって理論なら、子育てができるのはIQが高いアインシュタインだけってことになっちゃわないだろうか? でもアインシュタインが子育てして、本当にその子は幸せだろうか」
「人を障害者か障害者じゃないかに分けるのは馬鹿げている。誰だって小さな障害を持っていて、知能だっていろいろだ。ママだって僕だって完璧じゃない」
視点が全然違っていて、子供って親とは別人格を持ってるんだなぁ、とつくづく思うのでした。この視点でも議論できることがたくさんありそうですよね。
それではまた。
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