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どこでも住める人になるには「けなし旅」をやめることが早道だよ

「子どもをどこでも住める人にしたいんです」
こんな相談をよく受けます。

英語ができたらいいか、というと、そうでもないと思います。
英語ができても海外で生活無理なかた、たくさんいます。
重要なのは「まいっか」と物事を許容できる力ではないかと思うんですね。

「こだわりを捨てる」です。

「食べ物不味い」を口にするとその土地で揉める

小説家の角田光代さんが、エッセイ集「降り積もる光の粒」の中で、「けなし旅、褒め旅」という言葉を紹介しています。

   たとえば、「けなす」ことでその場所と親しくなろうとする人がいる。
はじめて降りだった場所で、はじめての光景を目にし、「つまんないところだな、見るべきものがなんもないよ」と、そういう人は言う。
 レストランでその土地の料理を初めて食べたとき「うわ、これをずっと旅のあいだ食べなきゃなんないの? この国ってもしかしておいしいものがないの?」と、そういう人は言う。 
 混雑したバスや鉄道に乗って「なんかくさい」、街を歩いて「なんでこんなに暑いわけ」、タクシーに乗って「この運転手、ぼったくりそうな顔してる」、ハエが飛び交う市場を歩き「うわー、きったねぇなぁ」、屋台で出す料理を前にして「見るからに腹をこわしそうだよな」と、そういう人は言う。

「降り積もる光の粒」角田光代(文春文庫)

ああいるいる……。
マレーシアに来てこれやって帰る日本人を多く見てきました。

私は「面倒臭い人だなぁ」となりますが、なんと角田さんは彼らは、「けなすことで土地と親しくなろうとしている」と分析します。
奥さんに「こいつ、馬鹿だからさ……」といって親しさを表すような「けなすことによって仲良くなる人」ではないかと言うのです。

この視点はなかった。
さすが小説家だなーと感心したのです……。

センサーを敏感にしすぎない

それから「けなし旅」の人の中には、おそらくマウント取ってるだけの人もいるとは思うんです。「自分はこれくらいの料理じゃ驚かないよ(=俺は食通だよ)」と見栄はりたいだけみたいな。
この人たちは内心と言ってることが違うかもね……。

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