言葉の裏が気になってしまうあなたへ
こんにちは。野本です。
今日は人付き合いがしんどい人のためのコラムです。
先日、こんなツイートをしました。
日本語話者同士の問題点として、言葉の裏を読みすぎるってのがあります。
日本語の問題点は、言葉に感情がくっついちゃってることです。言葉一つにいろんな意味があります。例えば、「おばさん」「おじさん」というと悪い意味になるんですね。言葉に悪意やら善意やらいろんなものが混じってしまっていると。
だから、毎日ツイッターで争いが絶えません。有名人や政治家のちょっとした発言を切り取ってはあーだこうだやるのが流行している。
子供同士でも同様だそうです。
「ちょっとお前ら、掃除しろよ」
「お前とはなんだよ」
「なんだよ文句あるかよ」
となってしまう。これも息子が小学生の時言ってました。
もはや「絆」「愛国心」「青春」「夢を持つ」とかいう言葉、マーケティングやら煽りやらで散々手垢と意味がくっついてしまい、純粋な意味では使いにくい。
日本語ってすごく使いにくい言葉になりつつある。
純粋に議論するのはとても難しい。
これはモナッシュ大学の渡部さんも指摘されてます。
彼は言います。日本人同士のコミュニケーションは難しい。同じ日本語で話しているのに、どういうわけか、言葉の小さなニュアンスを巡って揉めてしまうーーそんな経験をしたことはないだろうか。その理由には「日本語」が大きく影響している、と。
私たち日本人は、このように言葉の端々に含まれる文脈にとても敏感になっている。例えば「今日は、お召し物が素晴らしいですね」と言われたときに、「今日は」ということは、いつもはダメだということか、と解釈してしまう。相手はただシンプルに自分のことをほめてくれたのに、「本当は嫌味だったでは」「他の人の手前そう言ったのでは」などと勘ぐってしまう。褒め言葉の細かいニュアンスが気になるのだ。
(中略)
英語で勉強、仕事をしていて学んだことの一つは、特に会話では「日本語の中に含まれる意味ありげな文脈を気にしない」ということだ。簡単に言えば、「言われたことを言葉通りに解釈し、裏読みしない」ことである。
私も渡部先生と同意見です。
どうしたら、他人の気持ちの裏読みが辞められるのか
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