システムから外れる恐怖をどう克服するか
親しい友人から「人生を考え直したいけど、もう遅いかなー」と言われました。
彼女は、新卒で入社した会社に20年以上勤めています。ただ、最近「これでいいのかな」と考えてしまうそうです。でも怖くて動けないと。
この恐怖の正体っていろいろ因数分解できると思うのです。お金がなくなる恐怖、他人からどう見られるかという恐怖、安定した生活がなくなる恐怖……。
中で一番得体が知れないのが「システムから外れる恐怖」ではないかなー。
特に、中学、高校、大学、就職と周りと一緒に流れにのってきた人、ある意味運が良かった人です。ただ、突然それが断絶されて、一人放り出される心細さってあると思うのです。
これから、多くの方がこの「不安」と対峙しなくてはならない今、システムから外れるってどういうことなのか。
今日は、私のちょっとした経験を共有します。
外れるのが怖いかたのヒントになれば幸いです。
恐怖から救ってくれる書籍
私の場合、書籍にも書いた通り、最初の就職先選びを失敗しました。
明らかに合ってない職場。毎日仕事が苦痛です。
けれど、システムから外れるのが怖くて、なかなかやめられなかったのです。
ずっとベルトコンベアに載ってる的な生き方してると、外れたときに歩く足の筋力が、ほぼないんですね。20代ですらそう思ってしまう。
この時期に私を大いに救ってくれたのは、書籍でした。
まず、千葉敦子さんの「ニューヨークの24時間」が私の人生を大きく変えました。彼女は癌患者でありながら、フリーランスでニューヨークに自分の意思で移住しました。そんな彼女の強さを見習わなければ! と思ったわけです。
作家の桐島洋子さんもぶっ飛んだ生き方をしていました。編集者でありながら、会社に隠れて子供を産み、しかも一人は船上で誕生しています。
ベトナム戦争に従軍記者として行ったり、「サバティカル」と称して休暇を取り、子供達を米国に連れて行って、1年間、母子移住したりしていました。母子移住という生き方を最初に学んだのは、彼女からでした。
みんな素晴らしい才能の持ち主に見えて、当時はただの事務職OLだった私は「ここまでやるのは無理かなぁ」と感じながらも、何度も読んでいるうちに、だんだんと「自分にもできるかな?」となっていく。
会社をやめるなんてことは、実は「海外にいくことに比べたら大したことないじゃないか」と意識が変わっていくんですね。そして、「人生は一度しかない」と、会社をやめてみたわけです。
「会社をやめる」が最初の関門でしたが、実際にやってみると、心配したほどのことはありませんでした。
若くて日本にいる限りは、失業保険があったり、就職情報誌があったり、国民年金があったりして、そこそこ、道はあるものなんです。
「日本」というシステムから出るとどうなるか
十年以上後、ついに「日本」というシステムから出たときは、さらに心細いことになりました。
さすがに国外に行く人はそういないと思いますが、個人でリスクを取るとどういうことになるのか、ちょっと書いてみましょう。
日本から出ると非居住者になります。私はフリーだったので、会社からはすでに外れてましたが、国民年金も任意加入になり、国民健保からは外れます。子供も義務教育から外れ、役所から「ホントに義務教育外れますけど、いいのですね」と念を押されたりするんです。これが第一関門。
次に滞在国のビザです。ビザって申請してみても、取れるかどうかは誰にもわかりません。会社員でもないから、会社がサポートしてくれるわけでもない。取れる保証がないので結構不安ですが、「多分大丈夫じゃないの」という感じで進めていきます。
そんな宙ぶらりんの中、地図をみながら、住むところも学校も全て自分で決めるわけです。マレーシアはビザをとるのに時間がかかるので、多くの人がこの中途半端状態の嫌な感じを通り抜けてきているハズです(中には1年も出なかった、という人もいます)。
大使館が一応暴動が起きたりしたら連絡くらいはくれるっぽいのですが、それも緊急時に限ります。今までは健康診断も歯科検診も役所がやってくれてたのに、それも自力でやることになります。
日本の金融機関も一部を除いて使えなくなりますし、送金にも制限が出ます。交渉は英語かマレー語です。
その上で、仕事も、ご近所も、趣味も、家族も、ほとんどすべての人間関係を断絶して、一人(&子供)で新しい生活を始めるわけです。仕事もなくなり専業主婦になり、見える風景がガラッと変わりました。
40代半ばにして人間関係のゼロからの再構築を始めたのです。
ここまで書いてみると「無い無い尽くし」で恐ろしい感じです。が、実際には毎日やることが盛りだくさんで大忙しです。家を探して、必要な書類を集めてビザを申請して、わからないことはその辺の人に聞いて、ダメならもう一度チャレンジ。
そう。ロールプレイング・ゲームで遊んでいるような、不思議な高揚感がありました。
人を「信頼してみる」訓練が有効だった
このときは、それまでの「人を信頼してみる」という訓練が有効でした。
私のマレーシアとの出会いの最初は、日本で「ネットで知り合った外国人と会う」という小さな一歩でした。その繰り返しがこのときに役に立ったんです。
経験からマレーシアでは初対面や近所の人を頼ってOK、と何となく感じてました。最初は不動産を紹介してくれた華人、そしてコンドミニアムのガードマンや掃除の人たちと仲良くなり、わからないことを教えてもらいました。そのうち、同じコンドミニアム内に知り合いができました。
マレー系のタクシーの運転手さんと仲良くなり、彼からイスラムのことや基本的なマレー語、政治、運転方法のことなど教えてもらいました。彼のことは信頼してまして、重い荷物を頼んで運んでもらったりもしましたね。
一通りの生活ができるようになると、今度はヒマになりました。
その頃、子供とよく仮面ライダーやマレー語の幼児番組を見ていたのですが、当時のテレビの音楽を聴くと、懐かしいような、寂しいような気持ちに襲われます。
学校に日本人が少なくて、韓国人ママたちが仲間に入れてくれたのもありがたかったです。
焼肉パーティーに混ぜてくれたり、車がない私をお米の買い出しに連れて行ってくれたり。みんな帰国しちゃいましたが、親切は忘れません。人って意外に親切なんだなーと再確認しました。
その後、マレーシア人の友人がどんどん増えていくわけです。数年経って、成り行きで50代になって外資系に就職したりするわけで、人生ってわかりません。
他人を許せるようになる
これらの経験、私にとっては二つの大きな学びとなりました。
一つは、システムを出たら、自分で調べて決めて行動し、その責任は自分が取るのだ、というシンプルな事実。誰かが「こうしたほうがいいよ」といつも手を引っ張ってくれるわけじゃない。自分で調べて、相手を信頼できるかどうか瞬時に判断し、行動しなくてはならないってこと。
もう一つは、ゼロの場所に一旦飛び込むと、「自分は世界のどこに行ってもなんとかなるかも」という根拠のない自信が付くってことです。
こうやって行動していくと、もちろん失敗もたくさんしますから、他人の失敗を許せるようになる気がしますね。
システムに乗ってない人が失敗すると、たまに「ほらみたことか」と罵ってくる人がいるようです。しかし、その人たちの言うことを聞いていたら、一生システムから出られませんからね。出るか、出ないかは自分で決めなくてはなりません。
小さな一歩から始める
冒頭のように「もう30代だし、40代だし、遅いでしょう」などと言う方もいます。
会社というシステムに従って生きてくると、そこからはみ出すのがすごーく怖いんですね。
別にそこまでのリスクを取る必要はないかもしれません。最初は小さな一歩でいいと思うのです。知らない街に行ってみるとか、外国旅行するとか、学生をホームステイさせてみるとか、自分と対極にある人と友達になってみる、とか。リスクをメリットを考え併せ、「ハミださない方が自分には向いている」という結論もあるでしょう。
私も日本にいた頃は、タイに里子を持って文通してみたり、近所でゲストハウスを運営する若者の話を聞きにいったり、農業にIターンする友達の話を聞いたり、自分と違う性質の人たちからの学びが大きかったかな。
少しずつ変なことを繰り返していくと、だんだんと恐怖が薄れてくる。
それから、最初に書いたように書籍を読んでみるのも手です。とくに、ものすごいリスクテイカーな人たちの書籍は、学びになります。
今なら、知り合いが一人もいないのに、バングラディッシュに単身で渡って学生となり、のちに起業した山口絵里子さん。この書籍は、ひとりぼっちだった最初の渡航時に何度も読み返しまして、力づけてもらいました。
私自身の経験はこの辺に書きました。
書籍や他人の話を聞いているうちに、少しずつマインドが変わっていきます。その先にある世界はとっても広くて深いです。
それではまた。
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