他人をすぐに「可哀想」とか決めつけない方がいいよね
今日は短いコラムです。
こんなツイートが流れてきました。
23万も「いいね」がついてる。
他人の幸福感を勝手に決めてはいけない。
多分、この主張に多くの人が感じるところがあるんだと思う。
ところが同時に、このお母さんのように、無意識にやってしまうのです。
私は父親がいない家庭で育ったので、子どもの頃は
「お父さんがいなくて可哀想」
と周囲の大人にずっと言われてきました。
すごく無神経だなーと思って嫌だったんですね。
だから今でもそう言う人に会うと「ああこういう人なんだ」と観察してしまいます。
他にもいろいろあります。
「障害があって可哀想」
「こんな学校に行って可哀想」
「貧乏家庭で可哀想」
毎回、違和感を感じていました。
でもその理由はなんだろう?
人の幸せを勝手に決めつけることになぜ違和感を感じるのだろう?
でもこれ、相手を知らないとついやってしまうんです。
「日本人に生まれてよかった」に感じる差別意識
海外にいるとよく聞くのが、「こんな貧しい国に生まれなくてよかった。日本人であることだけで運がいい」です。
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