登校しぶりの子供をマレーシアで6年育ててみた(3)学校が日本人ばかりになる
登校しぶりの子供をマレーシアに連れて来て半年。楽しかった半年のあとは、怒涛のような日々が始まりました。学校の先生がいきなり全員辞めてしまったり、日本人が増えて「いじめ」が始まったり、日本人グループに馴染みすぎて英語が伸びなくなってしまったりーー今思うと実に「マレーシア学校あるある」なのですが、いろんな洗礼を受けることになります。フィリピンの英語学校に親子留学した体験も書いています。来て2ー4年目の体験です。お楽しみ下さい。
20643文字あります。
こんな人にオススメです。
・マレーシア親子留学に興味はあるけれど、実際にどんな問題が起きるのかを知りたい
・今マレーシアに来ているが、今後の家選びや学校選びの参考にしたい
・随時必要に応じアップデートします。誤字や脱字など発見した場合にはお知らせいただければ助かります。
・6月19日ーー誤字など訂正しました。
前編は下記から。
(目次)
■先生がほぼ全員辞めてしまった
■素晴らしかったインド人の新担任
■「学校が楽しすぎる」その理由
■息子、電子辞書にハマる
■暇だった親の私
■日本人の友達が入ってきた
■スポーツに夢中になる
■そして「いじめ」が始まった
■空き巣騒ぎで引越しを考える
■日本人の多いコンドへ
■車の運転を練習する
■日本人コンドミニアムの良かったところ
■日本人コンドミニアムの良かったところ2
■日本人コンドミニアムの良かったところ3
■日本人コンドミニアムの良くないところ
■多くの日本人が学校に不満を持っていた
■マレーシアの学校は日本の昔の公立みたい
■気がついたら周りが日本人ばかりに
■ローカルのスポーツジムに入る
■ローカルの友人が増える
■「孟母三遷」を地でいく韓国人たち
■日本人とトラブルの増加
■先生との面談→飛び級へ
■マレーシアにいながら「日本人化」してた我が子
■先生が作った「環境」作戦で本を読むように
■フィリピンの英語学校に行ってみた
■勉強漬けのフィリピン留学
■アメリカ人の先生と仲良くなる
■フィリピン留学の成果
■流される私と付き合わされる子供
■日本語の塾の春期講習
■飛び級すると、友達が一気に変わる
■初めての転校
■校庭もプールもない人気校とは?
■先生がほぼ全員辞めてしまった
マレーシアのインターナショナル・スクールに入って約半年たったころのことです。なんと、イギリス人の先生たちが全員学校を一斉に辞めてイギリスに帰ってしまう事件が発生しました。せっかく決まったばかりの息子の学校の担任の先生も辞めてしまい、しばらくは担任がないままに授業を進めると連絡が来ました。
私は、「欧米系の先生はすぐに辞めてしまう」と、聞いていましたので、くるべきものが来たか、と思いました。当時のマレーシアではインターナショナル・スクールが次から次へ作られており、欧米系の先生は、どこでも保護者受けが良いので引っ張りだこ。一方で、そんな先生たちには若い人が多く、マレーシアの退屈な環境に耐えられずに辞めてしまったり、給料の良い新設校があれば引き抜かれてしまったりします。
原因を聞けば、学校のエアコンを巡ってのトラブルだそうです。「そんな小さなことで帰国しなくても……」と思いましたが、いなくなってしまったものは仕方ないです。別の知人は「学校があまりに田舎すぎて、飲んだり騒いだりしたい若いヨーロッパ人には耐えられなかったのかも」と推測していました。学費がそう高い学校ではないことも、原因の一つでしょう。
こういう時にはふた通りの方法があります。
一つは怒って辞めたり、抗議しに行くこと
二つ目は静観し、様子を見ることです。
私は静観することに決めました。
当時仲の良かった韓国人のお母さんたちの多くは動揺し、何人かは抗議しに行き、何人かはすぐに学校を転校させました。ネイティブの先生がいない学校なんて意味がない、というわけです。クラスメイトのうち、数人がいなくなりました。こうやって学校の生徒が入れ替わって行くのですね。
私はの意見は少し違いました。ネイティブの先生でなくても、アジアで通用する英語ができればそれでいいと思っていたのです。そして、マレーシア人の父兄はといえば、私のように様子見の人が多かったです。
この学校が次にどんな先生を雇うのかを見て、それから決めることにしました。
そして意外なことに、この選択、大正解でした。
一ヶ月くらいすると、新しいインド系マレーシア人の先生がやって来ました。
ミスMという先生。第一印象は、ちょっと厳しそうな先生だな?という感じ。ところがこの先生が、素晴らしい教師だったです。
■素晴らしかったインド人の新担任
ミスMは若いながらも経験があり、しかも愛情深い先生でした。とにかくよく子供一人一人の良いところを観察してくれます。
ミスMは厳しいけれども、一方でよく子供たちをハグしていました。
ある日、教室に行くと、全員の机に「プリンセス・アイシャ」「プリンス・シム」といった具体に名札にいちいち敬称が付いています。なんと、みんな王子様、お姫様扱いされてるのです。先生の「全員大事だよ」という気持ちがこもっていて、嬉しくなりました。
子どもは、あっという間にこの新しい先生が好きになりました。子供にとって良い先生とは、愛情を持って一人一人をよく見てくれる先生でした。
日本の学校では怒られてばかりでしたが、こちらでは同じ態度なのに「授業中に活発に発言し、質問する。友達を助ける気持ちが強い。彼はみんなを笑わせてくれてクラスを良い雰囲気にしてくれます」と良い評価をしてくれるんですよね。ちなみに相変わらず、彼は授業中に歌を歌っていたそうですが、咎められることはありませんでした。
ただし、ミスMは学習にはとても厳しく、とくに「文字を綺麗に書くこと」については、うるさく指導されていました。
ある日、先生から電話が来て何事かと思ったら「おたくのお子さんの書く文字が汚いです。厳しく注意しました」という内容で、びっくりしました。息子が宿題を忘れると、やっぱり電話がかかって来ます。
また私が学校に行くたびに、足を止めて、今子どもがどんな様子かをこと細かに教えてくれました。
先生は、かつてお世話になった日本の保育園のベテランの先生を思い出させました。
■「学校が楽しすぎる」その理由
ちょうどその頃、クラスにウォングという男の子が転校して来ました。
活発で、大変頭の良い子です。でもあまりにもワンパクなので、いつも先生に怒られてばかり。息子はそういうタイプの子が好きだったようです。
早速、息子、ウォング、シム・レンツェン、イートゥン、それから韓国人のエンディと共に仲良しグループを作りました。「ノーティー・グループ」と彼が呼ぶこのグループには、そんな子供ばかりが集まっていた様子。毎日学校から帰ってくると、「今日はウォングがこんなことで怒られて面白かった!」「今日はみんなで考えたこんな遊びをした!」と報告してくれるようになりました。
子供は、新しいクラスと先生が楽しくてしょうがないようでした。
毎日毎日、帰ってくると「アーーー楽しかった!」「マレーシアの学校最高だ!」と叫んでました。
今度は、わんぱく四人組が、どんな風に先生に怒られて、それをどんな風に対応したのか、面白おかしく演じてくれるようになりました。
かつての登校しぶりが信じられないほど元気になっていました。
きっと我が子の環境にあっていたんでしょうね。
■息子、電子辞書にハマる
子供は相変わらず、学校には電子辞書を持って行ってました。大人用のカシオの電子辞書です。英語も日本語も中国語も、いろんな言葉が調べられます。子供はこれにハマっていました。
この電子辞書にはおまけで百科事典や音楽事典が付いています。退屈しのぎに、毎日ギリシャ神話の神様を一つずつ調べたり、数学の図形を調べたり、音楽を一つずつ聞いて作曲家を調べたりしていたそうです(これ多分、授業中も相当やっていたと見ています)。
そして調べたことを、辞書に付属のメモ帳に書きつけては持ち歩いていました。しまいにはメモ帳の数が足りなくなり、消さなくてはいけなくなったほどです。
電子辞書が友達だったことが、のちにパソコン(Wikipedia)に繋がって行った感じです。
■ヒマで孤独だった親の私
さて、一方の私は相変わらずヒマヒマでした。最初は学校に行っては様子を見ていたのですが、そのうち学校からお母さんが来るのを禁止されてしまいました。仕方ないので、月に1回くらいは韓国人のお母さんたちとバーベキューをしたり、週に1回、近所のマレー人に日本語を教えたりして過ごしてましたが、それ以外は結構孤独です。
自由な時間が多かったので、地図片手にバスに乗ってフラフラ終点まで出かけてみたり、電車の終点まで行ってみたりと、とりあえず土地勘をつけようと、あれこれ動いてました。
当時の土地勘は、あとで車を運転し始めてから大いに役立ちました。
あとは、近所の英語学校でビジネス英語のライティングを習いに行ったりもしました。ここでは、マレーシアでの業者へのクレームの付け方を教わったり、ビジネスのマナーを教わったりしました。
あまりにヒマなので、目の前の中古家具屋さんの女性店長と仲良くなり、しょっちゅうお茶を飲みに行ったりしていました。タクシーの運転手さんとも仲良くなり、マレー語を少しずつ教わりました。近所はマレー人地区で、マレー語を話すのが普通なので、カタコトのマレー語を覚えました。これはとても良かったです。
子供が帰ってからは、一緒にマレー語のテレビや仮面ライダーを一緒に見ていました。
■日本人の友達が入ってきた
そんな頃、大ニュースがありました。
この小学校に二人目の日本人が入ってのです。
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