「目の前にある面白いこと」をやっていたら景色が突然変わることがある
こんにちは!
前回は、40代からいろんな仕事を試してみたけど、全部失敗した……という告白をしました。
読んで「しょうもないなー」とモヤモヤした方も多いと思う。
40代になっての「自分探し」は割と迷惑なんですよね。上司には迷惑ばかりかけてました。
では、いったい何が次に繋がったか?
結論から言うと「(仕事に繋がらなさそうな)面白そうなことをトコトン、やってみる」の方でした。
今日は三たび、「やりたいことが見つからない」と悩んでる人のために書きます。
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スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業スピーチで「点と点を繋ぐ」話をしています。
彼は、大学をドロップアウトし、フォントをデザインする「カリグラフィー」の授業だけに出てたそうです。 それが後、マックを作るときに役立ったと言ってました。
退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。(中略)
もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。
また、アップルを首になったことが、「後から考えると最良だった」って話もしてます。
公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。
そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。
アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。
「そのときにはわからないけど、後からわかる」ってあると思うのです。
私もどっぷり専業主婦だった時代、ひたすら面白いことをやってたら、後につながりました。
ジョブズに比べたらだいぶショボいですが、今日はそのお話をヒントとして書いてみます。
「その瞬間」にはわからないけど大事なこと
一回目に無職になったのは、日本でのこと。
暇なので、子連れで近所をフラフラしてたら、街歩きにハマっちゃったんです。
東京下町には大正時代の隠れ家があったり、芸者さんが住んでいた長屋があったりしました。図書館で古地図を見たり、池波正太郎の小説を読んだり、関連書籍はほぼ読みまして、江戸時代を想像しました。
数年やっていたら、いつの間にか、町歩き仲間ができて、地元の街好きの人たちと繋がりました。お寺でやってる落語行ったり、踊りの会に行ったりと、関係ができてきました。
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