母語以外で学ぶ生徒の「自分の知性や成功への強い意欲を十分に表現できないもどかしさ」をどうするか?
「言葉ができないことは赤ちゃんと同じ」。
誰にとっても、何かを外国語で学ぶことには大きなストレスが存在します。
米国の大学院の「多様性」の授業で学んだ中には、「母語が違う子供たち」が入っていました。
日本人の生徒が英語で学ぶ場合が、これに当てはまります。日本から来た子が、マレーシアで、自分を母語で表現できないストレスで荒れるケースもあります。大体、来て1、2年は精神が不安定な子が目立ちます。
反対に、日本でも、公立学校に通う外国人のお子さんは同じストレスを感じているかもしれません。
そんな中、移民の国のカナダのトロントで行われているちょっと面白いケースを紹介します。「母語」を重要視する教育です。
先日ここに書いた話の続きです。
今回ご紹介する論文はこちら。大学院での課題です。
Cummins, J., Bismilla, V., Chow, P., Cohen, S., Giampapa, F., Leoni, L., …Sastri, P. (n.d.). ELL students speak for themselves: identity texts and literacy engagement in multilingual classrooms.
母語の使用は第二言語の妨げになるのか?
元々、語学クラスの先生方には以下のような考えがありました。
「母国語」を「日本語」に置き換えてみるとわかりやすいと思います。
マレーシアのインターのESLにもこのような考えのところが多く、長男の学校でも「家庭でも英語で会話してください。日本語は禁止してください」という先生がいました。
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