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個人がシステムに飲み込まれている国、個人がシステムを気にしない国
日本にいると、なんかやたらと人生がややこしくなっている人が多い印象を受けます。
仕事辞めたいけどやめられない。
結婚したいけどできない。
子供欲しいけど怖い。
そんな感じ。
なんかシステムに合わせて人間が存在してる。
もしくは、会社がコミュニティになっちゃってる。
マレーシアではもっともっと人生はシンプルでした。
ジェームス・フィッツロイさんの日本語ノート。
たいていの国では、人間はみんな自分と、愛する人や家族が幸福になるために生きているので、話はおもいもよらないくらい簡単です。
全部、自分の都合で決まることになっている。
他の条件が全部おなじならば給料が高いほうの会社に移る。
いままで世話になったことへの感謝はないのか?
愛社精神というものを、どう考えていたのか?
ありませんよ、そんなもの。
わたしはあなたの会社よりも自分の人生が大切なんです。
第一、雇われているわたしが、なんで雇っている会社の都合を考えなければいけないの?
外国の人にはこんなふうに考える人、多いよね。
私が出会ったマレーシアの人も、大抵はこんな感じでした。
シンプルに、「自分と自分の家族が大事!」以上!
なのですが、日本ではそうはならなくて、システムが人を飲み込んでる。
なんでかなと考えてみました。
ややこしい日本の「家族」の姿
まず家族自体が、やたらとややこしいんですよね。
家族がシステムに組み込まれてるのは、多分だけど、「家制度」の名残だよね。
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