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英語が上達する人と上達しない人のたった一つの差


最近杉原さんのnoteが面白い。
こちらは、元セブの学校関係者ならではの視点が強烈でした。

今日は英語の上達法について、特に子どもの英語力をあげたいと思っている人に向けて書いてみます。

英語教育というのは「お買い物」ではありません。いくらかのお金を払えば、リターンとして「英語を話せる自分」が手に入る、というような「商品」ではないんです。

そんなの当たり前じゃん!って思われる方も多いと思います。でも現にその「当たり前じゃん!」と思っている人の中のそれなりの数の方が「先生の教え方が気に食わない」とか「発音ばっか指摘してきてうざい」とかいい始めちゃう。

そんな想いがこちらに明確に伝わってくるようになると、もういろんなことに不満が募っていて「カネ返してほしい」とか「先生変えてくれ」みたいなクレームまであと少し、という感じになります。悲しいですね。

厳しいですが、確かにその通りです。

語学って楽器と同様、「先生がよければなんとかなる」ほど甘くない気がするんです。

楽器が上手くなる人は何が違う?

管楽器の場合、1年くらいで運指を覚え、呼吸法を覚え音が出るようになります。しかし「楽譜に書いてあることが普通に吹ける」ようになるのはさらに何年もかかります。さらに「表現できる」「難曲が吹ける」人は少数です。

1週間に一回のレッスンで先生は、「変な癖がついてないか」「今の練習曲はレベルにあっているか」は教えてくれるけど、のこりの数十時間を頑張って練習するのはあくまで自分です。
先生は方向と曲選びと練習方法を教えてくれるだけ。

あとは自分でやるんです。
実は英語も同じじゃないかな。

杉原さんは、英語が話せる人と話せない人の違いをこう書いてます。

そしてこれは、英語が堪能と言われる日本人が多かれ少なかれ経験していることですが、「言葉が通じない」という経験は、僕たちのマインドを結構深く毀損します。

で、「こんなはずじゃなかった」となる。ここまではまぁだいたいみんなおんなじなんです。では、どこに「英語が話せるようになる人」と「そうでないひと」を分かつ分水嶺があるか、というと、これは実に「英語を話せるようになるのはほかでもない、私である」ということが分かっている人と「おカネ払ってんだから、英語を話せるようにしてほしい」と思っている人の差、ということになるんだと思います。

受験と語学学習は違います


実は、マレーシアのインターでも、「先生の教え方が悪い」「宿題が少ない」「レベルが低い」よく聞く不満です。

「何年も行かせてるのに、英語が全然できるようにならない」
これもムッチャよく聞きます。

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